紀行文

モンゴルを歩く

(5)

2006年8月5日〜8月19日の記録
池 内 淑 皓
草原を歩く
 お腹が一杯になったら馬を連れて、草原を思いきり探検しよう。お父さんと一緒ならどこに行ってもOKだ。一人散歩は絶対に許可されなかった。理由は犬の攻撃と、狼だと言う。また散歩中に見えない所で怪我をされたら、見つけることが出来ないからと云われた。ここはハンガイ山脈の山麓で小高い丘が多い。
 ハイルハン山(2,310m)に登山しようとしたら、この山は神聖な神の宿る山であるから、登山は出来ないと云われた。
遊牧以外誰も立ち入ることのない手つかずの自然が、そのままここにある。桃源郷と云う言葉はこのためにあるに違いない。人がほとんど立ち入っていないから、まったくの自然そのままなのだ。私とお父さんは馬を乗り入れて、その贅沢を終日享受した。
 

  

モンゴル人達が最もエキサイトする「ナーダム」について説明しよう
 
昔から恵みの夏に行われてきた。大地の神と祖先に捧げる氏族の祭りが起源と云われている。
封建時代には君主や貴族などが、自分の権威を広く示す行事となっていった。
十九世紀、中国の清朝支配時代には宗教行事として催され大規模になった。社会主義時代に現在の国家祭典的行事の形となり、民主化以降は民族色が強く打ち出された中身に変わってきている。
 ナーダムには「相撲」、「競馬」、「弓射」がある。
 





相撲(ブフ)はトーナメント方式で戦う。ルールは土俵がなく広さは無限。相手の膝、肘、頭、肩、背中のいずれか地面に付いたら負けとなる、手は地面についても負けにならない。
 衣装は、手首まである筒袖で、胸が開き前を紐で結ぶ柔道着のような上着(ゾドク)を着る。
パンツはこれも柔道着の様な分厚い海水パンツ様(シューダク)を着用。足は膝下まである革製の靴(ゴダル)で先端が尖って反り返った靴を履く。
そして特徴のある頭のてっぺんが尖った帽子(マラガイ)を被る。
試合会場は中央にモンゴル国の国旗や幟を飾り、その周りを力士達は鳥が羽ばたくように回る。行司役が力士達を称える詩が唱えられた後、帽子を行司に預けて試合する。試合時間は無制限。
 勝者は幟の方へ羽ばたいて行き、幟の周りを回る。敗者はゾドクの前紐を解いて、うなだれて勝者の脇の下を潜る。勝者は敗者のお尻をポンと叩いて健闘をねぎらう。
優勝回数を重ねると輝かしい称号が与えられる。出場資格は年齢制限がなく無差別。

 次は競馬。少年少女達が、草原で逞しく大きく成長してゆく事を祈念している。5〜13才の子供が騎手となって馬の年齢毎に決められた距離を競走する。

 最後に弓射であるが、弓は長さ120〜170cm矢は100cm、的は長さ径とも8cmの円筒状の物で男子は75mの距離から、女子は60mの距離から的を射る、私はまだ見たことがない。
                  
滞在中、このハイルハンでナーダムを実施してくれた。私も日本の相撲で子供達と戦ったが、4勝1敗の成績であった。モンゴルの子供達は日本の相撲を良く知っているし強い。
(つづく)