ロマネ・コンティ

弓削 玄雄

 ワインを好む人が一度は飲んでみたいと憧れ、そして、その価格と稀少性の高さから「飲むよりも語られることのほうが多いワイン」といわれるロマネ・コンティをワイン・グラス1/4ほど賞味したことがある、しかもロハで。
 運動不足と体力的な衰えを感じていた52〜53才の頃から10年以上、茅ヶ崎の林水泳教室に通った。毎週月・木の午後7〜9時のクラスだった。このクラスもベテラン組、泳げるがあまり速くない組、初心者の3組に分かれ、それぞれにコーチが付き指導されながら泳いでいた。水泳前の30分間は付属の体育館でのストレッチ体操や球技の時間だった。
外観写真
開高健記念館
私が入会した時、このクラスに作家の開高健さんがおられた。当時の彼はあまり海外には出ず、書斎にこもりがちのことが多く、バック・ペインが起こるので水泳教室に来ているのだといっておられた。3才上の彼とは体操の始まる前少しずつ雑談をするようになった。同じ頃関西で学生時代を過ごし、海外への旅を楽しんでいた私とは共通の話題も多く、大阪の下町、文学、酒、食べ物、旅、女と話題は尽きなかった。彼は洒脱な性格でジョークが多くよく笑わせてもらった。彼の随筆によると私は彼のスイミング・フレンドの一人だった。
 当時、彼は年に一度、ボジョレ・ヌーボの時期にホテル・ニューオオタニで200〜300人の友人知人を招待しワイン・パーティーを開いていた。彼はサントリーの広告塔のような仕事をされていたので、このパーティーはサントリーが後援していた。立食の会場の中央にはボジョレ・ヌーボの樽が置かれ、テーブルには世界中のワインが林立し飲み放題だった。彼の晩年3回ほどスイミング・フレンドの幾人かと共にこのパーティーに招待された。
 ある年、会場を忙しそうに回っていた彼が近づいてきて「ロマネ・コンティが3本あるが飲んでみるか」といわれ、自らの手でワイン・グラス1/4ほど注いでくれた。美味しいワインだとはわかったが、味よりもロマネ・コンティを飲んだという感激のほうが大きかったように思う。
 そんな彼も59才を前に食道癌で亡くなり、スイミング・フレンドとしての付き合いも3年ほどで終わった。もう20年以上も前のことだが、2月21日の爽快(総会)ウオークで開高健記念館を訪れ、懐かしく思い出していた。