紀行
川澄 武雄 | |||||||||||
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ことしも満開のハクモクレンを見ることができた。大きな木だ。放生池の縁から見上げると、無数の白い花が風をうけて日光をきらきらと反射している。青空に映えて美しい。周囲の木々が漸く芽吹く頃、気品のある美しい花を咲かせて春の到来を告げているようだ。 関東一円の寺院で構成された「東国花の寺百ヶ寺」では、遊行寺がこの花で選ばれている。 |
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「遊行寺」・・正確には「藤沢山 無量光院 清浄光寺(しょうじょうこうじ)」時宗の総本山である。時宗の法主(ほっす) 遊行上人がおられる処から、遊行寺とよばれる。 |
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時宗は鎌倉時代、一遍上人の開祖である。そして遊行寺は、第4代 呑海上人が創始した(1325年)お寺である。藤沢は遊行寺の門前町として生まれ江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。 |
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いろは坂の両脇の桜がやっと咲いた。総門(冠木門)からの緩やかな登り参道は阿弥陀様四十八願にかけて四十八段あるそうだ。 |
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中雀門(ちゅうじゃくもん)を内側から見ている。遊行寺は開山以来幾度か火災や震災を被っているが、中雀門は境内の建造物の中では最古のもので、安政6年(1859)に建てられた。紀州徳川家の寄進である。屋根などに菊のご紋と葵のご紋がついている。 この門は勅使門で開山忌等に開かれる。中雀門の奥の若木はしだれ桂である。遊行寺には珍しい木が多いが、私はこの季節のこの木が好きだ。夢二が描く美人画の趣きがある。 |
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遊行寺では開山忌が春秋にある。春は呑海上人、秋は一遍上人の忌法要が行われる。春の開山忌は4月21-24日である。 |
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私は開山忌にお参りするのは初めてである。ご本堂で掌を合わせているとお坊さんが中に招じてくれて、信徒の方々と共に真円上人手ずからお札をいただいた。真円上人は卒寿を過ぎておられると聞いたがとてもお元気だ。お札を頂く時は右手で頂く。 |
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お札には「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれている。時宗の本尊は阿弥陀如来で「南無阿弥陀仏」の称名が刷られたお札を、遊行上人が60万人の人々に配られて、極楽浄土に導くことを願われている・・という意味だそうだ。時宗では遊行上人が巡られるところで必ずお札を1枚1枚手ずから配られる。 一遍上人は生涯、全国を巡り25万人以上の人にお札を配られたという記録があるとか。鎌倉時代の人口が800万人とすれば想像できない数で、非常に苛酷な行脚であったことだろう。 |
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開山忌法要中には放生池では魚が放流される。元禄時代、徳川綱吉の生類憐みの令で江戸市中の金銀の鯉が遊行寺の放生池に放たれたといわれそれに因むものだ。他にも稚児行列や踊念仏があると知らされていたが見に行けなかった。来春には、きっと拝見したい。 |
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http://www.jishu.or.jp/ (文中の写真で#1-#3は遊行寺さんのHPからお借りしました。許諾済) |