紀行文

寅次郎ウオークの旅
― その後の足跡 5 ―
平野  武宏
日本海をバックに若い同行者、右2人が次女夫妻
 ウオーキングの地方大会を歩き回っていたら、映画の寅さんファンの妻の友人から「平野寅次郎」と命名されてしまいました。
生涯の三大目標として定めたオールジャパン ウオーキングカップ(47都道府県大会)完歩(2006年)、世界最大のオランダ フォーデーマーチ完歩(2007年)、地球一周四万キロ完歩(2009年)を達成した「湘南の寅次郎」、次の目標は時間とお金の許すまま、気ままに歩くことを楽しもうとしましたが、日本ウオーキング協会の新たなシリーズものに挑発されて、「日本開国セブンハーバーズリーグ」と「龍馬グランプリウオーク」を追いかけることにしました。
お暇の折にご笑読ください。
  
新潟県 みなとまち編

 2010年6月19日(土)〜20日(日)新潟市で開催された新潟県ウオーキング協会、新潟日報社、NST主催の「第1回にいがた湊まち しもまち 歴史ウオーク」に参加しました。新潟県は5年前に「第1回上杉謙信公ツーデーマーチ」で春日山城址と上越市を歩きました。今大会は日本開港150周年(2009年)を記念して、開港にゆかりの「街」を訪ねるマーチングリーグとして設立された「日本開国 セブンハーバーズリーグ」の新潟大会とNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ2010年1月から始まった「坂本龍馬グランプリウオーク」新潟大会です。
 新潟は安政6年(1859年)6月に横浜、函館、長崎と同時に開港。龍馬の海援隊には越後から白峰駿馬・橋本久太夫の二人が入隊しています。白峰は後に白峰造船所を建設した人だそうです。

6月18日(金)
藤沢からは朝一番の電車と新幹線を乗り継げば8時には新潟駅に到着できるので前泊はしない予定でしたが、昨年12月まで隣の新発田市に住み、結婚して三重県四日市に移った次女に新潟行きを知らせたところ、大会に1日参加し、新発田の友達に会うとのことで前泊に切り替えて、次女夫妻と会いました。
次女は寅次郎の家族 女性3人の中で唯一、ウオーキングに関心を持ち、新発田でも「寅次郎の娘」だと地元ウオーキングに参加した理解者です。一緒に歩くのが父の日プレゼントだとうれしい言葉。コンベンション施設として整備された「朱鷺メッセ」と「さかなのふるさと万代島」を散策した後の、夕食ではのどぐろ・あじ・南蛮えびなどの新鮮な日本海の魚と厚揚げのような栃尾の油揚げに感激しました。

6月19日(土)
会場の新潟市陸上競技場へは駅前からバス。満員のウオーカーで途中のバス停は通過。市民の皆さん、ごめんなさい。受付で娘夫妻と新発田から参加の友人・神奈川県横須賀市から駆けつけた新発田時代の友人と合流し、しもまちコース10kmをスタート。
昨夜の雨もあがり、整備された信濃川河岸 水辺空間を活かした緑地帯の「やすらぎ堤」を気持ちよく歩く。女性に特に親切な寅次郎、今日は若い女性たちと歩くとボルテージも上がり会話が弾む。
国の重要文化財に指定の「萬代橋」の下をくぐり、萬代橋の渋滞解消で作られた全国初のファインセラミックによる表面仕上げで美しく輝く「柳都大橋」を渡り、明治初めに始まったと言われる「本町下市場(フレッシュ本町)」の露天を抜けるとそこは日本海。
手前の小学校は小林幸子の母校だと、後ろを歩いていた地元の人に教わる。こんな地元の方との会話もウオーキングの楽しみのひとつだ。
今日の日本海は穏やかだったが、寅次郎の生まれ育った湘南海岸とは海の色が違っていました。晴れていれば佐渡が見られるとのこと。「西海岸公園」の松は風で陸側に曲がり、冬の厳しさが偲ばれた。
かっては空砲を撃って正午を告げたという「ドン山」が復元されていて海に向かって大砲があり。町に戻ると「どっぺり坂」の階段を下る。旧制新潟高校の寮があり、この坂を下って街に遊びに行くと落第する(ドッペルン=ドイツ語で2重の意)ということで名づけられたとは面白い。数えたら階段は及第点にひとつ足りない59段。
白山神社にて
新潟の総鎮守として千余年の歴史のある「白山神社」を過ぎると、ゴールは間近か。
白山さまは女の神様で縁結びのご利益があるとのこと。蓮池には日本で初めてニュースを流しという放送塔から正午のニュースが流れていた。ショートコースは見どころポイントが一杯でゆっくり、仲間たちと楽しめるのだと再認識した寅次郎でした。
ゴール後は新発田に向かう次女たちと別れて、神奈川県から来た仲間とホテルへ向かう。
大会名簿での1日目の事前申込者数は772名。神奈川県からは87名。湘南ふじさわWAの会員は28名いました。
夕食は湘南ふじさわWAの仲間と昨夜と同じ店を訪れ、夜はワールドカップサッカーのオランダ戦をTV観戦と話題が多く、記憶に残る一日目でした。

6月20日(日)
二日目は薄日のさす天気のウオーキング日和の中、湊まちコース14kmを歩く。
日本の夜明けをもたらした港は「新潟西港」として小樽に向かう大型フェリーが停泊していました。信濃川の下に作られ新潟西港の港口部を結ぶ「新潟みなとトンネル」を歩く。約2kmのトンネル内は涼しく、車道は別で快適なウオークでした。このトンネルの開通で萬代橋の交通渋滞が緩和されたそうだ。
出口・入口にある「山の下みなとタワー」と「入船みなとタワー」は立抗でトンネル内の換気を行なう施設。トンネルを出ると歴史文化を偲ばせるロマンあふれる建物と河岸の近代的な「朱鷺メッセ」の雄大な眺めが対象的でした。散歩にきていたベビーカーの奥さんからは何の大会?と聞かれる。もっと市民にPRして多くの市民の参加が望ましい。
商業の中心として新潟市を支えてきた「古町地区」の中心部を通りゴールヘ。古町地区の通りには交差する数々ある「小路」があり、街の歴史が伺えました。
ゴールで「にいがたインターネットテレビ」の女性リポーターからインタビュー。
いつ放映するのかと聞いたら、パソコンで見られますとのこと。
新潟名物 越後もちぶた たれかつ丼を味わい、17時には藤沢に到着しました。
新潟は近い所ですね。
 二日間とも平坦なコースで来年の湘南ふじさわWAの特別ウオークの候補地のひとつになりそうです。

映画の寅次郎は新潟県には23年前に第31作「男はつらいよ 旅と女と寅次郎」で恋に破れ、新潟公演から失踪したスター歌手の京はるみさんと小さな港で出会い、お金のない寅さん、佐渡に帰る漁船で一緒に佐渡に渡り、楽しい旅をしています。
宿では寅さんと「矢切りの渡し」のジュエットもあり。楽しかった思い出にと指輪をもらった寅次郎、自分と同じ境遇と勘違いし、はるみさんとの日々が忘れられず放心状態で柴又へ戻ります。はるみさんが柴又にお礼に来て、喜んだ寅次郎、はるみさんから恋人とやり直すと聞き、また失意。やはり自分はやくざな兄貴だと妹さくらに寂しそうに言って、旅に出て行く寅次郎の姿が印象的。寅さん版「ローマの休日」です。
この映画を最後に引退宣言した京はるみを演じた都はるみの歌が存分に聞ける作品です(都はるみは引退し、すぐに復帰しましたが・・)

湘南の寅次郎は恋とは関係なくハーバーズリーグと龍馬を追いかけて、次はみなと神戸を旅します。
実は湘南の寅次郎、坂本龍馬と同じ11月15日生。龍馬は奇しくも33歳の誕生日に暗殺されています。
                               平野 寅次郎 拝