紀行文

寅次郎ウオークの旅
― その後の足跡 6 ―
平野  武宏
歩楽達人之碑と筆者
 ウオーキングの地方大会を歩き回っていたら、映画の寅さんファンの妻の友人から「平野寅次郎」と命名されてしまいました。
生涯の三大目標として定めたオールジャパン ウオーキングカップ(47都道府県大会)完歩(2006年)、世界最大のオランダ フォーデーマーチ完歩(2007年)、地球一周四万キロ完歩(2009年)を達成した「湘南の寅次郎」、次の目標は時間とお金の許すまま、気ままに歩くことを楽しもうとしましたが、日本ウオーキング協会の新たなシリーズものに挑発されて、「日本開国セブンハーバーズリーグ」と「龍馬グランプリウオーク」を追いかけることにしました。
昨年完成した「歩楽達人之碑」にわが名前が刻銘されているとのことで、自分の目での名前探しの旅に行ってきました。
お暇の折にご笑読ください。
  
長野県 歩楽達人之碑編
 2010年8月28日(土)〜29日(日)バスdeウオーク企画の「歩楽達人之碑と信濃比叡W」に参加しました。日本ウオーキング協会(JWA)では昨年、東山道でつながる縁で、比叡山延暦寺の峰道にあるウオーク記念碑と同じ記念碑を、比叡山峰道の大師像と同じ像が建つ「信濃比叡」にウオーカーの栄光ある記念碑として「歩楽達人之碑」を建立。オールジャパン ウオーキングカップ(47都道府県大会)完歩者、IVV四万km完歩者、地球一周四万キロ完歩者を刻銘しています。但し経費として1記録5千円要。
 長野県南端、岐阜県境の山間の地で交通の便が悪くなかなか行けない所なので、バスツアーに参加しました。

8月28日(土)
東京駅八重洲口から32名の達人と500選ウオークに参加の2名、JWA村山会長、斉藤事業部長の36名で出発。達人達は神奈川県9名、千葉県5名、東京都4名、茨城県4名、埼玉県3名、栃木県2名、福島県2名と夜行バスで到着の大阪府、兵庫県、宮城県各1名でした。
諏訪湖 湖面に藻
美しい日本の歩きたくなる道500選「諏訪湖一周のみち」と「アルプス展望、りんご街道を巡るみち」を歩きました。
高島城から諏訪湖湖畔のみちは炎天下でしたが、木陰もあり、かりんロードやさざなみロードを気持ち良く歩けました。ただ、御神渡で有名な湖面は水草(藻)に覆われ始めていて、「よみがえれ諏訪湖!」や「泳げる諏訪湖に!」などのスローガンの立て札が立ち並び、少し心配になりました。
バスで移動し次に歩いた中川村は南アルプスを望み、真ん中を天竜川が流れるりんご街道で早い品種のりんごの収穫が始まっていました。収穫の脇を通過したら「あげたいんだが、こんなに大勢ではなー」と言われてしまいました。16時からの心地よい夕涼みウオークでした。

バスで下伊那郡阿智村の昼神温泉の宿舎に到着。昼神温泉は初めての地でしたが、天竜川上流の阿智川の清流を挟むように山に囲まれたなかなか良い温泉地でした。中日ドラゴンズの落合監督が選手時代に自主キャンプをした地だそうです。
現地集合のウオーカー24名と合流の夕食を兼ねた懇親会では阿智村村長の歓迎の挨拶と記念品のりんごジャムをいただきました。座敷温泉と銘打ったお風呂は湯船以外はすべてビニール畳で初体験。お湯はお肌にすべすべした美人の湯でした。

8月29日(日)
朝風呂のあとは温泉街での朝市に繰り出し、村のおばちゃん達の手作りの品やとうもろこしを生での試食や買物を楽しみました。収穫はご当地にんにくラー油、乙女の恋心 世界一大きなスモモ「貴陽」、唐辛子入り いちど食べたらもうたま卵(らん)でした。
神坂峠から風景
 バスで「歩楽達人之碑」がある信濃比叡広丞院(こうじょういん)のある園原まで上る。
古代東山道最大の難所・神坂峠を望む眺めの良い場所でした。
東山道は701年に大和朝廷が作った近江の国を基点に美濃・信濃・上毛・下毛より陸奥・出羽へ通じる「支配・軍事の道」として利用された最初の国家運営の計画道路だそうです。江戸時代の五街道の整備で廃道となりました。
美濃・信濃境は険しい山道が多く、特に最大の難所は神坂峠でした。天台宗の開祖最澄は旅人の苦難を見かね、この地に広丞院を建立。美濃側には広済院を建立し、登り下りの旅人を救いました。
広丞院は比叡山と縁が深く、平成12年から「信濃比叡」の呼称が許されました。院内にある伝道大師最澄の立像や根本中堂は比叡山にあるものと同じでした。
根本中堂左脇にある「歩楽達人之碑」の前での記念写真の後は、皆、碑を囲んで自分の名前を必死に探し、証拠として写真におさめていた。
信濃比叡根本中堂
名前は横書きに県別で記載されているが、縦に呼んで「名前がない」・「県名が違う」と騒ぐ御仁もあり。

長野県ウオーキング協会富田会長の先導で昼神温泉まで下りのウオーキング。途中東山道の名残の山道を下る。昔の人達のご苦労を偲ばせる道だった。
歩きながらいろいろ教えていただいた。古代東山道ははるか万葉の時代から歌に詠われ、源氏物語にもその名をとどめ、沢山の神話や伝説があるそうです。昼神のいわれのひとつに日本武尊がご東征の帰り途、伊那谷を通って園原の神坂峠へさしかかった時、悪事をなさる神が白鹿に化けて前に立ちふさがったそうです。尊は口に含んでいた蒜(ひる)を鹿に投げつけ、鹿は目に当たり死にました。たちまち濃霧が晴れて、白狗が里へ導いてくれたそうです。これ以来、神坂越えには蒜を噛んで通ると妖気に打たれることがないと言われるようになったそうです。「蒜噛」が「昼神」になったと言う説です。
蒜とはにんにくとの事。朝市で買ったご当地にんにくラー油はご利益がありそうです。
昼神温泉の戻り、「湯ったり〜な昼神」で汗を流して、バスにて帰途につきました。

「歩楽達人」はウオーキングに沢山お金をかけ楽しんだ人の意味で、時間とお金をかければいただける称号です。称号をいただいたら一度は自分の名前探しにこの地を訪れることをお勧めします。達人にも相変わらず健脚の達人とそうでない達人がいることに気がつきました。長年歩いてきたので足には疲労はたまっているはず、無理は禁物と悟った湘南の寅次郎でした。

映画の寅次郎は長野県には縁があり、第10作「男はつらいよ 寅次郎夢枕」で奈良井、第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」で別所温泉、第22作「男はつらいよ 噂の寅次郎」で木曽路、第25作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」で軽井沢、第29作「男はつらいよ 寅次郎純あじさいの花」で信濃大町、第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」で小諸にと6作品で訪れています。信州の地がマドンナとの出会いや恋に破れた心を癒してくれる地だったのでしょう。また人情の厚い信州は「ふるさとのような所だ」とも言っています。小諸には寅次郎ファン、渥美 清氏、松竹、山田組、そして温かい人情が一つになって実現した記念事業の「渥美 清こもろ寅さん会館」があります。
                                           平野 寅次郎 拝