紀行
八幡三郎 | ||||||||||
今回のビザ無し訪問団(64名)の行き先は国後島、択捉島で平成22年7月1日から5日間です。 |
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7月1日
7月2日
友好の家への道、埠頭への道など、道は全て未舗装でした。車高の高いランドクルーザーが大きな轍が到る所にあり有り避けての走行です。 埠頭を後にして現在建設中の幼稚園を視察に行きました。新しい建物が少ないので、新築の幼稚園は彼らの自慢の一つとして案内したと思われる。 その後、墓地に行き、草刈をし、手入れをしました。お線香を上げ、墓参をいたしました。後で聞いた話ですが、友好の家の職員がお墓の手入れをしてくれているとのことで、長年現地のロシアの人たちと一緒になってお墓の手入れをした結果だと思います。
郷土博物館に見学に行きました。展示の中に、アイヌの記述がありましたが、ロシア人の祖先との説明でした。日本人の住んでいた家屋の写真が数点隅のほうにあり、当然のことながらロシア色一色の博物館でした。 行政府前広場において住民との交流で子供たちを交えて、玉入れを行ないました。毎年の行事で子供たちを初め住民も楽しく参加し交流を深めることが出来ました。 行政府のホールではファッションショーが開かれモデルの両親や友人、住人など大勢のロシア人が集まり華やかな上にも盛況でした。モデルの15人の女子達は華やかな衣装を着けデザイナーの指導で歩き方も上手に振舞っていました。 友好の家で夕食交流会が行政府の関係者を交えて開催されました。歓迎の挨拶、記念品の交換の後、和やかなムードの中、前行政長がギター伴奏で自慢ののどで歌を披露して歓迎のムードを高めてくれました。 20時頃はしけに乗ってロサルゴサに乗船。古釜布港を後にして択捉島に向う。国後島古釜布より択捉島紗那までは約6時間。海は静かで快適な航海でした。 7月3日 択捉島でも国後島同様に沖合いに停泊しはしけを来るのを待って紗那港に上陸しました。 児童芸術学校の大ホールに行政府関係者を訪問。博物館見学。紗那の墓地の清掃。墓地は一面1m近い草に覆われ墓碑が草に埋もれていたのを、草刈機や鎌で刈り取り墓参をしました。周辺には花が咲き乱れていたのが印象的でした。 有萌近郊の海辺の温泉に移動し昼食。以前は自然の野天の温泉でしたが、綺麗に整備されて小公園の中に洒落た八角形の建物の中に円形の湯船があり水着での入浴です。私も温泉に入りましたが湯加減も良く疲れが癒されました。
国後島と同様に運動会として玉入れ、ファッションショーが芸術学校で開かれました。やはり住民の多くが参加して皆満足な様子でした。 有萌の海岸に行き景色を楽しみました。参加者全員がのんびりした気持ちになったのでは無いかと思われる静かな海岸でした。 紗那において商店を見て歩きました。入り口がドアーで、中が見えないところが多く、ドアーを空けて初めて売っている商品がわかる状態です。慣れるまでは大変戸惑いました。なぜならば、女性の下着、婦人物の衣料と一緒にお酒、時計、チョコレートなどの菓子が売られています。組み合わせを違いますがお酒、肉、大根などの野菜の店もありました。ほとんどの店がこのようなスタイルで慣れるまで多少の時間を要しました。夕方は一旦船に戻り洋上での宿泊でした。 7月4日
別飛にある“ギドロストロイ社”の水産加工所を視察しました。建物、庭園、など良く整備され、加工場と鮭・鱒の孵化場を見せてもらいました。孵化場は屋内。目視で幅4m長さ50mの孵化用プールが50位並んでいました。 12時過ぎにホームビジットで私達3名はデミヤノワ・マリア・アルカジェブナさん36歳、娘13歳、母56歳の女性3名の家に訪問しました。訪問した家庭は大変友好的で大ご馳走を用意して迎えてくれました。言葉の壁があるものの、会話集と手まねや態度でのボディーランゲージで交流を深めることが出来ました。 港の近くにある“ギドロストロイ社”のカフェでロシア側から行政府長を始め幹部が参加しての交流会でした。交流会は和やかに行われ、ロシア側から沢山の歌の披露があり、訪問団は阿波踊りを披露し、ロシア人も阿波踊りの中に加わり一緒に愉快に踊りました。 19時半ごろはしけで港を離れ、ロサ・ルゴサに戻り国後島古釜布経由根室港に7月5日昼頃に戻りました。 国後島、択捉島の住人は好意的に迎えてくれましたが、国対国の関係では領土問題はなかなか解決しないがこのような交流を続けることはいつか解決に繋がることを期待しています。 ちなみに、北方四島の面積(5,036ku)は神奈川県(2,415ku)の約2倍位です。(実際は2,08倍)北方四島は非常に小さな島と思っている人が結構多いのには驚きます。 |