紀行文
― その後の足跡 7 ―
平野 武宏 | ||||||||||||||||
ウオーキングの地方大会を歩き回っていたら、映画の寅さんファンの妻の友人から「平野寅次郎」と命名されてしまいました。 生涯の三大目標として定めたオールジャパン ウオーキングカップ(47都道府県大会)完歩(2006年)、世界最大のオランダ フォーデーマーチ完歩(2007年)、地球一周四万キロ完歩(2009年)を達成した「湘南の寅次郎」、次の目標は時間とお金の許すまま、気ままに歩くことを楽しもうとしましたが、日本ウオーキング協会の新たなシリーズものに挑発されて、明治維新の頃に世界に向けて開かれた七つの港を巡る「日本開国セブンハーバーズリーグ」と坂本龍馬の足跡を巡る「龍馬グランプリウオーク」を追いかけることにしました。 お暇の折にご笑読ください。 兵庫県 みなと町神戸編 2010年9月18日(土)〜19日(日)神戸ウオーキング協会、日本ウオーキング協会、神戸新聞社主催、兵庫県ウオーキング協会共催の第2回みなと町神戸ツーデーマーチに参加しました。 9月18日(土)東コース(30・20・10・5・わんぱく3キロあり)
大変便利になりました。阪神大震災のメモリアルパーク内にある大会会場のメリケンパークから9時スタートの20キロコースに参加できました。
昔から貴族や歌人がよく訪れたそうで滝を詠った万葉の歌人の碑が立ち並ぶ。この山道の上りはさぞ大変だったろうと感心する。 「六甲森林浴の道」として美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれている。 山を下りると朝、下車した新幹線新神戸の駅で、駅の裏山を歩いていたのだ。 街並みを灘方面に向かい、数年前のゲリラ豪雨で死者を出した都賀川遊歩道を歩く。
震災直後は仮設テントが並んでいた東遊園地は陸奥宗光顕彰碑などの史跡と震災のモニュメントが入り混じっていた。
なにしろ湘南の寅次郎は坂本龍馬とは同じ誕生日との因縁がある。 ゴールのメリケンパークへ。神戸海援隊モニュメントやコロンブスが世界を航海したサンタ・マリヤ号の復元帆船が展示されていて、さすが国際貿易港神戸だ。 元町の繁華街を歩いて三宮のホテルへ戻る。湘南の寅次郎曰く「元町を歩いている女性はお洒落な人が多い」。ホテルに戻り、事前登録参加者名簿を見たら神奈川県22名、FWA会員9名の名前があった(2日間の参加者合計は約3,500名) 9月19日(日)西コース(30・20・10・5・わんぱく3キロあり)
神戸市立須磨離宮公園の噴水も疲れた身体を癒してくれた。ここは須磨離宮(正式名称 武庫離宮)として約100年前に皇室の別荘として建造され、昭和20年の空襲で御殿は焼失、昭和42年から離宮公園として開園とのこと。
敦盛さんはまんざら知らない人でもないので丁寧にお参りをする。その時、後ろで「異国の丘」の歌が流れる、振り向くとそこにはシベリヤ満蒙戦没者慰霊碑があり、脇のボタンを押すと歌が流れる仕組み。いろいろの人が祭られているお寺なのだと感心した。 坂道を下ると須磨の海岸。申し訳ないが、湘南海岸とは比べ物にはならない。
神戸のまちの自動販売機には80円・100円の飲み物があり。ゴール近くでリポビタンDの格安販売機を発見し飛びつく。リポビタンDとゴール近くのハーバーランドで踊る若者たちの「神戸よさこい」に元気をもらってゴール。 15年前の阪神・淡路大震災からすっかり復興を遂げた元気な神戸の姿を確認できたし、龍馬の足跡ばかりでなく、お彼岸の時期に思いがけなくも、ご先祖様に会うことが出来た大変有意義な旅だったと大満足の寅次郎でした。 映画の寅次郎は第48作「男はつらいよ 寅次郎 紅の花」(最終作)で神戸にいるとの連絡を音信不通になり、柴又では新聞の尋ね人欄に出し探していた。 大震災のボランティア活動(炊き出し物資の分配役)をしている寅次郎の姿がTVで映し出されて、柴又のくるまや一家が安心する場面あり。 それを見て義弟の博は「寅さんのように規則もめちゃくちゃな人は震災後の混乱期のような時には力を発揮するんだ」と評している。律儀な寅さんはその後、復興なった長田区を訪問し、当時の皆さんと再会する場面もあり、寅次郎の訪れた最後の地となった。 兵庫県には第17作「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」で龍野に来て、芸者の「ぼたん」との楽しかった出会いもあります。 平野 寅次郎 拝 |