紀行文

エベレスト街道を歩く(1)
2011年2月6日   池 内 淑 皓
 エベレストを見るためにネパールのナムチェバザールに出かけた私と神さんは、11月4日カトマンドウに帰り数日休養の後、11月7日アンナプルナの見えるポカラに飛んだ。
 ポカラはネパール第二の都市で、カトマンドウから西へ200km、町の標高は800m程でかなり暖かい(カトマンドウは標高1,300mの盆地)。10時50分のフライトであるが、例によってなかなか搭乗案内が無い。聞くと、「ポカラの空港が閉鎖中だ」との事、前の飛行機が滑走路上で車輪のパンクで動けないのだそうだ。
 12時20分やっと離陸した。上空は快晴、ガネッシュ(7,406m)、ヒマルチュリー(7,893m)、マナスル(8,163m)もよく見える。この山は1956年5月9日槙有恒ら12人の日本山岳会により初登頂に成功した山だ。コバルトブルーの空に雪をかぶるヒマラヤの峰々は本当に神々しい。
ヒマラヤ山脈飛ぶ(後方マナスル) ポカラ飛行場
  
 やがて前方にアンナプルナ連山が見えてくると着陸。40分程のヒマラヤ遊覧飛行はとても快適です。
あらかじめ地球の歩き方「ネパール」(‘09〜10)<ダイヤモンド社>で調べておいたホテルまで歩いて行く。一泊750Rs(900円)、部屋から正面にマチャプチャレ(6,993m)がよく見える。
 宿のお父さん(グルンさん)は、日本の高円寺に14年間住んでいたと言うだけあって日本語ペラペラ、ネパールの現状と将来について夜が更けるまでいろいろ話してくれた。
 アンナプルナはすぐ雲に隠れやすいから、行くなら朝暗いうちにタクシーで出発して、登山口のフェディーで朝食を採って登りなさいと教えてくれた。
 前日にタクシーを予約して午前5時に宿を出た。満天の星空だ、途中で夜が明ける。小1時間程走って登山口のフェディーに到着する。ここにはバス停の表示もなければ、登山口の案内板も無い、茶店が二軒と石畳の登り口があるだけ。茶店にはお湯がチンチン沸いている。早速ネパールティー(ネパーリ チャー)を注文する。ネパーリ チャーはとにかく甘い、どんなに砂糖を入れるなと云っても甘すぎるのだ。ネパール人はこれに更に砂糖を加える。
作り方は、煮立った鍋に茶葉を入れ、ミルク、砂糖、シナモン、クローブ等を入れ、一泡ふかしてから茶こしで濾してコップに注ぐ、とても熱いが美味しい。ナン(小麦粉を練って焼いたパン)と目玉焼きで朝食終了、雲が湧いて来ないうちに出発する。

登山道は良く整備されている 唯一の道標(ダンプスへは上に登る)
up way to dhampus
 道は途中の村落を縫うように付けられており、石畳道で迷うことはなかった。11月8日(月)8時30分“ダンプス”の尾根筋に到着、雲一つない快晴。
目の前の“マチャプチャレ(6,993m)”に圧倒される。マチャはお魚の意味 チャレは尻尾の事。マチャプチャレの左側はアンナプルナT(8,091m)、右手にはアンナプルナV(7,555m)、W(7,525m)、U(7,937m)がずらりと見える。
 高台に腰を下ろしてお菓子を食べていると子供達が寄ってきた。お菓子を分け与えて一緒に食べる、一つの林檎を六等分に切ってあげると小さな一切れを慈しむように食べていた。本当に人なつっこい、言葉は通じなくとも気持ちが通じている。
そして子供達はお礼に代えて、私達の為にネパールでは有名な歌「レサム ピリリ」を歌い踊ってくれた。
きままな旅行ならではの至福の一時だ。
ダンプスの丘にて 子供達が「レサムピリリ」を歌い踊ってくれた
子供達は人なつっこくて、愛くるしい Vサインはどこの国でも共通だ
レサムピリリの歌  ポカラ フェワ湖から見たアンナプルナサウスとマチャプチャレ
  
 そろそろ雲が山の端にかかってきた、10時30分下山することにする。
山道を下り始めたら、遠くで“ピーコ ピーコ ピーコ”と音が聞こえてきた。この音は村々を繋いで走るマイクロバスで、バスが来るよと云う合図なのだ、手を挙げると止まってくれるから乗せてもらう。ポカラの町はずれまで乗せていってもらって300Rs(250円)だった。
 その後数日ポカラに滞在して、カトマンドウへの帰路はバスで帰る事にした。外国人が乗るツーリストバスはエアコン昼食付き$18。狭い道、砂ぼこり、でこぼこ道をユラユラ走って夕方カトマンドウに着いた、お尻が痛い。
左マチャプチャレと右アンナプルナW、アンナプルナU、 右端はラムジュン・ヒマール(6,986m)左端の花は「ネパール桜」、右端の竹で組んだ四本の柱は、子供達が遊ぶブランコ
                                                         完