紀行文

ラオスを歩く(1)
2011年5月29
池 内 淑 皓
 
ラオス全土  ビエンチャンからルアンパバーン地図
凱旋門から見たビエンチャンの町南部  同北部
タートルアンにて  仏間
現地の人と一緒に昼食(メコンの小魚が旨い) メコン川に日が沈む
レストランにはメコンの魚が並ぶ(指さして調理してもらう) 現地で活躍中の(左)置木氏と(右)鈴木氏
 
 2008年ラオス国は日本人に対して、15日間に限り入国ビザが免除になった。折角のチャンスであるから、2009年1月27日から2月6日(乾季)まで11日間ラオスを歩いてきた。
 日本からラオスへは直行便が無く、成田からタイのバンコクに飛び、そこからラオス航空でビエンチャンに入る、または韓国、ベトナム、中国から入国する方法があるがいずれも乗り継ぎが悪く、価格の割には不便であった。
 私はラオス航空会社に直接インターネットでチケットを予約して、バンコクからラオス航空で首都ビエンチャンに飛ぶ事にした、同時にビエンチャンからルアンパバーン、ルアンパバーンからパークセーまでの航空券も同時に購入した。

 ラオスからの帰路は、パークセーから陸路バスでメコン川の国境を越え、タイのウボンラチャタニに出て、列車でバンコックに入った。ラオス見聞の旅を紹介してみよう。
 1月27日(火)10:50成田からバンコクへはJALで飛び、その日の20時にはラオスの首都ビエンチャンに到着した。夜初めての空港に到着するのはとても心細いが、この国は時差がー2時間であるから未だ明るい。初日に泊るホテルをインターネットで予約しておいたが迎えが来ない。アジアの旅はいつもの事であるが時間にルーズなのだ、当てにしないでエアポートタクシーでホテルに向かう。

 メコン川の畔に立つこのホテル、かつては国賓クラスが宿泊していたと云うが今は36$で泊まれた。
先ずはここを拠点に数日滞在して、首都ビエンチャンを歩いた。
 早速母なるメコン川を見たくて河原に降りてみる。この川、中国青梅省礼阿曲(チベット自治区の境)を源にミヤンマー、ラオス、タイ国境を通り、カンボジャ内を通過してベトナムから南シナ海に注ぐ全長4,525kmの大河。インドシナ地方の人々は異口同音に「母なるメコン」と云っている。
特に最も大きな流域面積を持つラオスは将に川の恵みが大きな蛋白源となっている。
 滔々と流れるメコン川に小舟を繰り出し、巧みに網を入れて小魚を捕る、夕暮れともなれば、川畔に突き出た東屋で食事を提供するレストランには、メコンのお魚がテーブルに並ぶ。小魚を肴に焼酎「メコン」を飲みながら暑気払いをする。川面を吹き抜ける涼風が気持ち良い、日中は常時30度を越える常夏の国なのだ。

 夕涼みを兼ねて食事のために川畔の屋台を覗いていて見て驚いた。「おやおや!」日本人がいた、ビエンチャンで魚の買い付けをしている貿易商の置木氏と、隣にはベトナム、ハノイで不動産業を営んでおられる鈴木氏が一杯飲んで居られた。びっくり仰天しながらも夜の更けるまで歓談した。異境の地で一所懸命頑張って居られる二人に頭が下がる(翌日、置木氏の家を訪問してお昼をご馳走になった)。

 ラオスの国土は日本の本州とほぼ同じ24万km2で、人口は570万人、国土の80%は山岳地帯である、首都はビエンチャンで全人口の10%が住む。山岳が多く耕作地が少ない、輸出品目の一位は電気、二位は木材で取り扱い量も少ない。確かにバイクは走っているが、他のアジア諸国と比較して少ない。
そしてこの国も仏教国であるから当然仏教寺院は多い。国民は敬虔な仏教徒だ、彼らが最も敬愛する代表的な寺院の一つ「タートルアン」を訪ねてみよう。
 町の東北、高台に位置する黄金の塔で高さ45m、ラオス全土のシンボルである。起源は紀元前3世紀に遡ると言う、1873年中国の侵攻で破壊されたが1930年代に修復されている、参拝客が絶えない。
 その他ワットパケオ、ワットシームアン等見所は多いが、案内は市販のガイドブックに譲ろう。
 次なる訪問地はラオス北部に位置し、日本の京都と云われる「ルアンパバーン」(旧名称ルアンパラバ-ン)を歩いた。

                               ラオスを歩く(2)へ 続く