紀行文

ラオスを歩く(1)
2011年6月20
池 内 淑 皓
パークセー周辺地図(タイウボンラチャタニとベトナムダナンが結ばれて居る)  パークセーの町
小舟を雇ってメコン川をクルージング(クルージングの船頭さん)    
若いカップルと一緒に夕食(川魚の料理が旨い) メコン川の魚を捌く
メンコン川を渡し舟で渡る チャムパーサックの村
チャムパーサックの朝  托鉢に喜捨をする(いつでも目にする光景だった)
托鉢に喜捨をする  住まい(全部がこの様な住居に住んでいるわけではない)
ワットプーへの参道(リンガが並ぶ) ワットプー北宮殿(修復中)
本殿から見た遺跡全体(大きな池はバライ、中央の道が参道) 本殿への階段(かなり痛んでいる)
メコン川に日が沈む(漁をする船)
  
 次なる訪問地は日本の古都奈良と云われるパークセーを紹介しよう。
 2月2日(月)ルアンパバーンの宿からトークトク(三輪オートバイ)で空港に行く。パークセーには12時過ぎに到着した、バスで行けば丸一日がかりの距離だ、アジア人は私一人だけであった。
日本からインターネットで予約しておいたチャンパレジデンスホテルに行く。
この町もルアンパバーン同様、メコン川と支流のセードン川に囲まれた小さな田舎町であるが、陸路タイ、ベトナムとの国際幹線道路が繋がっており、経済的に重要な町となっている、また町の南部には、クメール様式寺院である「ワットプー」が世界遺産に登録されている事もあって訪れる人が多い。

町は特に見るべき寺院や史跡も少ないが、目の前の母なるメコンで、ぼんやりと過ごすのが何とも気持良い。
小舟を雇ってメコン川をクルージングしてみた、船が沈没したら「いやだナアー」と少し怖かったが、滔々と流れる川の中央まで漕ぎ出すと、爽快な気分になっていった。
 日が山の端に沈む頃、川畔のレストランで食事をしようと歩き出したら、若者のカップルに呼び止められて一緒に食事をする事となった、彼は片言の英語をしゃべる。一般的にラオス人は特別な人を除いて英語はしゃべらないが、私達は片言のラオ語と身振り手振りで遅くまで意気投合した、目の前のメコンで採った川魚料理(ヌンパー)がまた旨い。

 2月4日(水)今日はチャムパーサックにある世界遺産の「ワットプー遺跡」見学する。
バスターミナルからチャムパーサック行きのバスに乗り、1時間ほどでメンコン川を渡し舟で渡り、対岸にあるチャムパーサックの村に入る。ここはかつてのチャムパー王国の首都であった。
 5世紀ベトナム中部地方に栄えていたチャムパー王国が勢力を伸ばして、この地域に古代都市を築いた。その後カンボジャのクメール王国に併合され、チャムパー王国の面影は失せていった。
 私はチャムパーに一泊し、バイクを借りて遺跡巡りに向かった。ワットプー遺跡は、11世紀頃建造された典型的なヒンズー教寺院で、入口にバライ(海を意味する)と呼ばれる池があり、そのほとりの参道を行く、南宮殿と北宮殿の中央を抜けると、今度は歩廊が続き第二のテラスを通って、本殿に向かう。本殿内にはシバ神、ビシュヌ神等ヒンズーの神々が祀られている、中央にはシバ神を象徴する「リンガ」(子孫繁栄を願うモチーフ)が埋め込まれており聖水がリンガに注ぐ。本殿全体はクメール様式で、祠堂は7世紀のチャム様式となっている、この場所は現地の人達にとって犯すことの出来ない聖地となっている。遺跡全体はかなり痛んでいて世界遺産としては少し見劣りした。

 半日程遺跡の中を探検して帰路についた。インドネシア、カンボジャにはほぼ完全な姿のヒンズー寺院が多く残っている。
 ラオス最後の日はメコンの日の入りを見て、夜はホテル近くのアジアンレストランで“ラオス風すきやき”を食べてみた。ジンギスカン風の鍋に炭火を使い肉と魚と野菜を焼き、卵を器に溶いてナンプラー(魚醤)で味付けして食べる、日本人の口にあって美味しくそして安い。
                                      続く