惜別
平野 武宏 |
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FWAには2003年10月に入会され、会社卒業少し前から始めたウオーキングに、はまり込んで、一般の人が生涯目標として挑戦している、歩行記録「地球一週4万キロ」、47都道府県の大会を完歩する「オールジャパンウオーキングカップ」など数々のウオーカーの勲章を手にされ、また2006年から始まった、まだ全国でも完歩者はわずかである「美しい日本の歩きたくなるみち500選」も完歩された偉大な健脚ウオーカーです。歩くスピードのみならず人生も速いスピードでゴールしてしまいました。 FWAのスタッフでは65歳以下は若手。田嶋さんの67歳は若手の先頭に立って、これからのFWAを背負って活躍を期待した人材で、本当に残念です。 「70歳までは歩きたい。歩いていて死んだら本望だ。葬儀は故郷 高崎市の菩提寺で」と奥様に話されていたそうです。高崎市は国内最大の「日本スリーデーマーチ」発祥の地また毎年「高崎観音だるまツーデーマーチ」が開催されている地です。菩提寺の長松寺は中山道沿いで、だるまマーチのコースの近くにあり、ウオーキングとのご縁を感じました。戒名にも「歩順利篤」の文字が入り、昼間は田嶋家のお墓の中にはいないで歩き回っていそうですが・・ 田嶋さんは几帳面な性格で計画的・効率的に歩く計画を調整していました。歩く姿はリュックではなくショルダーのおしゃれなウオーカーで人気がありました。 用意周到さには逸話があります。FWA9人で世界最大の「オランダフォーデーマーチ」に参加したとき、宿泊のホテルで深夜火事騒ぎがありました。火災連絡は部屋のTV画面が知らせ、真っ赤な警報画面が白い壁に写し出されて、部屋中が真っ赤になりました。私などはあわてて、持ち出すもの探しまわり、結局は寝ていたままの姿、裸足で部屋を飛び出しました。ひとつ隣の部屋の田嶋さんはすでに廊下に出ていて、その姿は着替えてショルダーを掛け、靴まではいていました。なんて素早い人なのだと感心した次第です。消防車まで来ましたが結局は報知器の誤報で一件落着。 奥様・二人のお嬢さまの美しい女性陣に囲まれ、家では寡黙だったとのこと。女性陣はウオーキングと無縁と伺い、私と同じ環境でもっとお互いに家族との対応で話し合っておくべきだったと痛感しました。 一緒にオランダに行ったFWAの俳人 近藤源司さんから田嶋さんを偲んだ一句をメールでいただき、私の拙字で紙にしたためて、ご霊前にお届けしました。 外国(とっくに)で 元気に歩きし 田嶋氏の 面影偲びて 胸ぞ塞がる 源司 |