紀行文

寅次郎ウオークの旅
― その後の足跡 11 ―

海外篇(トルコ アンタルヤ編ー3)
平野  武宏
24日 パレッカム 石灰棚 24日 パレッカム クレオパトラのプール
25日 古都コンヤ メブラーナ博物館 26日 カッパドキア らくだと奇岩
 10月25日(火)

パレッカムからカッパドキアへの12時間の長いバスの旅。ガイドのMr.メメットの話が沢山聞けたので退屈せず。トルコ人はもてなし好き、おしゃべり好きでお客さんを大事にする。これは寅さんの心の原点でもあり、トルコは寅次郎のふるさとかもしれないと思った。家を訪問するので客用の部屋には敷物を敷いて、甘いお菓子を出してもてなす。家族では夕食を大事に揃ってとる。食後は夫がサッカーに夢中なので、TVは2台ある。学校は5年・3年が義務教育。その後の4年(高校)には85%が進学。大学は希望を出すが、行き先を決めるのは国とのこと。21〜29歳の男には1年3ケ月の兵役あり。迷信が多くあり、イスタンブールの地下宮殿の柱にあった目玉の模様から目から気持ちが出て魔を払うと目玉のお守りあり。家の入口に置くそうだ。
お土産としても沢山売られている。また台所ににんにくの干したものや畑に牛の角をお守りとして置くとのこと。これも日本人と通ずるところ。シャーマン(修道士)が伝えているそうだ。ナスレテン・ホジャ(イスラム教育の師匠)は頓知があふれて日本の一休さんのようだ。面白そうだったので日本語版小話集を休憩のドライブインで買う。

途中には綿花畑と布工場や大理石の採掘場があり。バラ・ケシの町デニルで途中の休憩。ケシは麻薬とは関係なく種を取るとのこと。ガイドお勧めの蜂蜜ヨーグルトにはケシの種が入っていた。娘のお土産にバラのスキンケアハンドクリームを購入。さくらんぼの町アクシュルでは干しサクランボを購入。実は日本のさくらんぼはトルコから入ったとのこと。寅次郎の大好きなヨーグルトもトルコ語だそうだ。

バスは昨日に続き、ポリスの検問に2度も止められる。そのたびに運転手さんは運行記録を持って降りていく。1日には何台と決めて検問をしているようで、運ちゃん「何故、俺ばかりと止められるんだ」と怒っていた。
11〜13世紀セルジューク・トルコの首都が置かれた古都コンヤで昼食。メブラーナ博物館を見学。施舞教団のメブラーナ教の始祖メブラーナ(マホメッド)の青緑のタイルで飾られた霊廟の塔もあり。館内の装飾や美しいイスラム芸術の見学に多くの人が訪れていた。キャラバンサライ(隊商宿)の遺跡が残るシルクロードを通り、甜菜畑から満載したトラックが隣を走り、砂糖工場で持ち込んでいる光景を見る。空になったトラックが待っているのはお金をもらうためとのこと。畑では甜菜は4年に1度で3年は麦を作るとのこと。Mr.メメットの粋な計らいでバスの中で懐かしい江利チエミの「ウシュクダラ」、坂本九とパラダイスキング「ムスターファ」、庄野真代の「飛んでイスタンブール」のCDを大草原の景色を見ながら聞かせてもらう。ベンツの大きな工場もあり。車はまだ現地生産で国産車は来年には出るとのこと。

和歌山県串本との姉妹都市の件、Mr.メメットが語り出した。明治23年トルコ海軍の軍艦が日本を訪問、イスタンブールへ向け横浜を出航、紀州沖で台風のため遭難。720人の乗組員の550人が死亡。串本に助けを求めに来て救助。暖める毛布が足りず、ご婦人たちが体温で暖めたと、トルコから感謝されたこの出来事で友好都市になったとのこと。この話を聞いたトルコにいた山田寅次郎氏は日本に戻り、当時のお金で100万円の寄付を集め、政府に差出、政府は山田氏をトルコに派遣し、寄付を渡した。このお金は基金として遭難した子弟の学費に活用され、多くの子どもが海軍士官になったとのこと。トルコ政府は山田氏を日本語の先生として処遇し、日本人初のイスラム教徒になったそうだ。トルコと日本はイラン・イラク戦争で危機を救ったトルコ航空、イスタンブールの地震での日本人のボランティア活動などがあり、日本に対して好感を持っている基は明治時代の出来事だ。
話に感動していると、カッパドキアへ到着。ホテルでは日本からの観光客も多いと見えて、TV番組には日本語番組があり。

10月26日(水)

寅次郎と絨毯織り嬢
 冷やりとする気温。昨夜は霜が下りたとのこと。太陽は出ているが朝のうちは霧。でも空から景色を見る熱気球がいくつも上がっている。太古の昔、火山の噴火によって堆積した溶岩や火山灰が、長い年月での間に侵食され出来た奇岩群の雄大な景色は午後にして絨毯の店に連れて行かれる。絨毯を織る現場を見学し、ワインをご馳走になり、豪華な絨毯を歩いた後はマンツーマンで営業活動が始まった。保証もしっかりしており、日本円で20%、引宅急便代持ちで自宅に届けると豪華な絨毯を買った人も。
寅次郎、妻の「お土産は食べ物以外は不要」との言葉を忘れて、玄関マットの値引き交渉を行い。40%引きで買ってしまう。帰ってからの事態はおって知るべし。
 古代ローマ時代キリスト教文化が育まれた地下都市を見学。地下8階まであるそうだが、観光用には4階までしか見せない。避難所、教会、台所など岩をくりぬいた洞窟住居。カッパドキアに戻り、雄大な景色を眺める。キノコのような形やらくだの形の奇岩は圧巻。

10月27日(木)

 トルコの旅も最終日。カッパドキアからバスでアンカラへ。砂利みちでバスは小石を跳ね飛ばして走る。景色は広大の大地に麦畑、果樹園、平原には低い木々が点在。時折ポプラ並木や羊の放牧もあり。羊の群れには必ず、ロバ(羊の習性は前の羊のお尻に頭をつけて歩くので先導役)、犬(群れから離れないためのスイパー役)がいてウオーキング例会と似ている。首都アンカラが近づくと景色は建物・ビルが立ち並ぶ。線路はあったがめったに見なかった貨車が止まっていた。
アンカラからイスタンブールへ乗り継ぎ、成田行きのトルコ航空の直行便に乗る、日本人のツアー客で満席。時間を6時間戻すと日本時間は22時。

10月28日(金)

 アンカラから3回の機内食。黒海、カスピ海、モンゴル、中国、韓国、新潟の上空を経て予定通り10時10分成田に戻る。海外旅行の後は崎陽軒のシウマイ弁当と決めていたので、藤沢駅で購入し、家で美味しい日本のご飯をいただき、首までつかれる日本の風呂で長旅の汗を流しました。やはり日本が一番でした。
トルコはアジアとヨーロッパにまたがる国土を持ち、ギリシャ・ローマなどさまざまな文明と民族が足跡を残した歴史的遺産の宝庫で紀元前3000年(日本では縄文時代)から都市国家が発達した地でペルシア帝国時代、ローマ時代から紀元後のビザンチン帝国時代(日本の古墳時代〜平安時代)、オスマントルコ時代(日本では鎌倉時代)を経て1922年共和国時代(政教分離)として発展した国とその偉大な歴史には驚くばかり。
オリンピアードのウオークのほか、知らなかったトルコのことを沢山知り、なんと日本や日本人に共通したことが多いと感じました。
赤ワインの名前が「トラサン」や同じ名前の山田寅次郎氏がトルコでは有名人と知り、気分を良くした湘南の寅次郎でした。

映画の寅次郎は海外にはオランダ アムステルダムに出かけただけですが、トルコに行ったら遊牧民とも話が合いそうだし、今のトルコの人達とも気持ちが通じ合えたと思います。ベール姿のトルコの美女ともうまく行ったのでは・・・
但し、金貨の持ち合わせがなく、やはりうまくいかなかったかも・・・
                               平野 寅次郎 拝