紀行文

スリランカを歩く(2)
2011年12月11
池 内 淑 皓

[旅立ち]
 2011年7月23日(土)成田から9時間飛んで、コロンボバンダラナーカヤ空港には明るいうちに到着した。入国審査はすんなりと終わった、赤い表紙の日本国のパスポートは、アジアの何処の国を訪れてもにこやかに迎えてくれる。空港内でスリランカルピーに両替(1Rs=0.7円)してタクシー乗り場に向かう、市民の乗る一般路線バスがあるが、乗り換えが二度あるし、初日くらいはスマートにホテルに入りたい。
今日泊るホテルが既に確保されているから、タクシー(Rs3,000=2,100円)に行き先を告げるだけで良かったし、ホテルのフロントもトラブル無く部屋に入れた。溢れるほどバスタブにお湯を張って疲れを取る、滞在期間中この日を最後に帰国までバスタブの風呂とエアコンには無縁となった。


コロンボの町、イギリス植民地時代の建物が多く残っている
国鉄コロンボフォート駅構内  列車は総てディーゼル機関車が客車を牽引、線路は単線  駅の時刻表
 7月24日(日)コロンボも日曜日は休日、町は静かで閑散としている。アメリカンスタイルの朝食を採って、国鉄コロンボフォート駅に明日乗る夜行列車の指定席券を買いに行く。駅のインフォメーションで聞けばすぐ分かった、乗車券売り場と前売り指定席乗車券売り場は別の場所となっている。
明日乗車予定の寝台券は満席で、2等車の座席指定が取れた。夜行列車の良さは、宿泊代が助かり、翌日朝目的地に着ける利点がある、ただ泥棒には要注意だ。
 コロンボの町を歩いて探検してみる、かつての首都だけあってさまざまな機能が整っている。
今日は終日コロンボの北側ペター地区を歩いてみる。海側は官庁街、北側にペターの町が広がっている。ここでのお目当ては、オランダ植民地時代の商館が博物館として保存されている貴重な文化遺産を訪ねてみる。
 かつてスリランカは幾多の国々の植民地となった歴史がある。16世紀の始めにはポルトガル人がシナモン(肉桂)貿易でやって来た、大航海時代には中東からムーアー人が海のシルクロード中継地としてこの地に住み着いた。次いでオランダが(1,658ー1,7969)、イギリスが(1,796ー1,948)この国を蹂躙してきた。
 19世紀に入るとインドの南部タミル州からタミル人が労働力として移入してくると、彼らは北部地方のジャフナに拠点を作り、自分達の自治を主張し始める、ジャフナは石油が取れるのだ。この権益を求めて長い間スリランカ政府と反政府過激派組織タミル・イーラム開放の虎との間で争いが続いたが、2009年5月この内戦も政府の勝利で終止符が打たれた。
 博物館の隣には庶民の台所青空市場、マーケットが賑わっている、日本のフリーマーケットの様に野菜、魚、雑貨類が所狭と並べられている。私は果物とサンダルと洗濯用洗面器を購入し600ルピアを支払った。
 
オランダ時代の商館  玄関側  中庭
フリーマーケット 日用品は何でも揃う 魚類には事欠かない
HOTELとは、ここでは小さなレストランを意味する、
宿泊出来ない      
コンビニ  ビールはどこでも置いていない
お酒を飲ませるバー、 ここでは「ROYAL BEER GARDEN」の看板が掲げられている、 ビールは飲めるが冷えていない お酒の飲めるレストランで夕食、彼らは人なつっこい食べているものは、ミックスライスチキン付き
 
 喉が乾いてビールが飲みたい!と辺りを見回してもアルコール類が置いていない、だいいち自動販売機はこの国には設置されていない、町の食堂にビールは置いてないのだ、高級ホテルのレストランか、お酒を飲ませる許可を得たバーだけなのだ。
暑いし(昼間は27℃位)少し歩き疲れたし、仕方なくホテルに戻ってシャワーを浴びて、ホテルのレストランでビールタイムと昼食とした。ビールは「ライオン」の銘柄があって旨い。
 テーブルの片隅に日本人が3人食事をしていたので話しかけると、ソマリア沖で海賊退治をしていた自衛艦の乗組員であった。コロンボで休養と、燃料補給の為寄港しているのだと云う。

 夕食はホテルの近くでレストラン・バーを探して食事とした、お酒を飲んでいるスリランカ人がこっちに来い、と手招きしているので仲間に入りしばし歓談する、なぜお酒が食堂(スリランカではHOTELと言う、宿泊するホテルと同じ名であるが、建物を見ればすぐ分かる)に置いてないのか聞くと、この国は仏教徒が70%、ヒンズー教徒が20%程、イスラム教徒が10%程だと云う、彼らはお酒を好まない、従ってお酒を置かないと云う。私達はシンハラ人(スリランカ土着の現地人でプライドが高い)で仏教徒ではあるがお酒をたしなむのだと屁理屈つけて飲んでいた、そう云えば私だって同じ仏教徒だよ。
 
コロンボ南部(中心部)の地図 コロンボ国立博物館
コロンボ ゴール フェースグリーンにてオランダ時代の砲台がモニュメントとして海を睨んでいる
コロンボ ゴール フェースグリーンにて
バッドウラ行き急行列車の寝台車 左側が寝台個室となっている ではコロンボを出発! 私の旅姿

 7月25日(月)今日は20:00コロンボ駅発バッドウラ行きの夜行列車で終点まで行く。
朝ホテルを出て、駅の荷物一次預かり所にリュックを預けてコロンボ中心部(駅から南側)を歩く。国立博物館、自然史博物館、ベイラ湖周辺ウオークを楽しんだが、ビールは一滴も飲む事が出来なかった。
 夕方駅に戻り、駅中のキオスクでカリーを食べる。スリランカではインド、ネパール同様食事は基本的にカレー味が主体で、お米は粒の長い「インデカ米」パサパサして日本人には食べにくい。この国は常夏の国であるから、お米はいつでも収穫出来る。
 バッドウラ行きの列車は定刻に出発した、到着は翌日午前7:10着の予定。列車はほぼ満席、寝台車は家族連れが多かったが、外国人は見あたらなかった。
 この国の鉄道は単線でディーゼル機関車が客車を牽引する。乗り心地はすこぶる悪く、前後左右に揺れるのは分かるが、時々ごつん、ごつんと車両が上下に揺れる。急行列車であっても冷房はないし、むなしく扇風機が生ぬるい風を送るだけである。幸い私の隣が空席であったので、リュックを枕にして寝る。
 夜中急な寒さで目が覚めた、標高2,000mを越える山越えをしているのだろうか、乗客達はパーカーを着ていた。私はウインドブレーカを羽織って寒気を防いだ。
          続く