紀行文

スリランカを歩く(5)
2011年12月28日
池 内 淑 皓
[キャンディーの町を歩くA]
 
ヒルウッドカレッジ 学校入口 学長のフルシャンティーさんと
女性たちと、この国してはものすごく清楚 先生達(全員シンハラ人で民族衣装を身につける)
仏歯寺全景 仏歯が収まっている厨子
仏歯の収まった厨子の前で読経  ジャフナ ナショナルカレッジの先生達
ジャフナカレッジの女生徒と 特にお気に入りの女性徒と(とても理知的な人)
 7月29日(金) 朝夕、たくさんの女学生達がGH(ゲストハウス)の前を通るので、宿の奥さんに聞いたら、家の上に女学校がある、と言うので朝の散歩がてら訪ねて見た。
 ヒルウッドカレッジと看板が掲げられている、守衛さんに学校を見学したいと云ったら、OKとなり、学長室に通された。何と片言の日本語を話すではないか、名古屋の女子大学に留学したことがあると云う、名前は「フルシャンティー」(菊の花と云う意味)学長。
 このカレッジは、小学校から大学まで一貫の私立女学校で、名門校だという。女生徒の服装も整っているし、送迎の父兄も品が良かった。キャンディー湖が見下ろせる高台に位置し、学校の設備も良いし、テニスコートもあり、花畑が美しかった。学長の日本留学の影響だろうか、校舎総てを含めて日本の学校と変わらない感じがした。

 朝食を食べて仏歯寺の見学に行く、GHから湖の対岸にその寺が見えるし、歩いても15分あれば十分な距離だ。このお寺には仏陀の「歯」が奉られている。
 紀元前543年、インドで仏陀を火葬にした時入手したと言う、キャンディーには1,590年仏陀の歯が運ばれ、シンハラ王朝のアスリヤ一世が寺院を建てて現在に到っている、スリランカでは仏歯を非常に重要なものとして扱い、仏歯のある所が都の置かれる場所とされて来た、キャンディーはシンハラ王朝最後の地であり、仏教徒の心のよりどころとなっているのだ。
 シンハラ暦でエサラ月(今年は8月4日〜23日まで)には、仏歯を象に乗せて町を練り歩く行事が行われる、これを「ペラヘラ祭」と言う。この日が巡って来ると、スリランカ中の信者、観光客が来てこの町は身動き出来なくなると言う。

 仏歯寺は殊の外神聖で、入口では総ての荷物を預け、靴を脱ぎ、素足でお堂に入る、信者達は蓮の花を持ち、線香を持ち、教本を片手にお参りする。お堂の中では教本を開き、終日読経すると云う。仏歯は決められた時間、仏への礼拝時に逗子が開扉される、私は写真をパチパチと撮り退出した。
 お堂を出て庫裏の外に出ると、現地人に何処から来たのかと呼び止められた、7〜8人の女学生を連れた引率の先生らしい。ヒンズーの人だとすぐに分かった、額に「ティカ」を付けている、顔付きもインド系だ、ティカとはヒンズー教徒が額に神の恩恵を受けるように示す印。
 話しかけて来た先生の名は「ナンサンジンコエ」と云い、ジャフナにあるナショナルカレッジ教育学部の、女生徒を連れて来たと紹介された。今、校外研修で来ているのだと言っている。ナンサンさんは私のスリランカでのスケジュールを見て「なぜジャフナに来ないのか」と質問されて困った、日本国外務省はスリランカの北部、特にジャフナ付近は「渡航の是非を検討してください」、になっているので訪ねる予定は無かったのだ。彼は云う、「今は全く問題ないから、時間があったら是非訪ねて来てくれ」とアドレスを書いてくれた、彼女達のきれいな民族衣装が特に心に残った。

 
キャンディー国立博物館 ペーラデニア方面行き普通車の三等車 座席は木製
ペーラデニア植物園入口 真っ直ぐに成長しない木
バオバブの木 竹林
ついでに隣にあるキャンディー国立博物館に立ち寄った。ここはシンハラ王朝時代王妃の宮殿跡で、当時の宝物や調度品が展示されていた尚、王宮は現在政府が使用しており、立ち入り禁止であった。
 GHに戻り、シャワーを浴びて、ビールで一休みのあと、町の郊外にあるペーラデニア植物園を散策に行く、バスで行く方が早いが、列車の三等車に乗ってみたかった。キャンディー駅から乗って、ペーラデニアジャンクション駅で降りて、バスで植物園に向かう。14世紀バーフ三世が王妃のために作られた庭園であると云う、別名ロイヤルガーデン。
 1821年植物園として一般公開された。広さ5.6平方キロ、植物の種類4,000以上と云う、半日廻っても足りないほど広い。日本では見ることの出来ない木々が豊富に丹精されている、また1981年スリランカを訪ねた平成天皇の記念樹が植えられていた。  続く