紀行文

スリランカを歩く(6)
2012年01月01日
池 内 淑 皓
[象の孤児園に遊ぶ・ダンブッラへ移動]]
 
象の孤児園にて
象の孤児園にて 
象孤児園にて 水浴中

 7月31日(日) 滞在最終日は、キャンディー郊外のピンナワラにある象の孤児園に遊びに行く、キャンディーバスターミナルからキャーガッラ行きのバスに乗り、カランドウパナジャンクションでバスを乗り換えてゆく(1時間ほどかかる)。朝GHのお母さんに象を見に行くと云ったら、バス停まで下僕を付けてくれた。
 彼はこの家の隅に奥さんと二人で住んでいて、ビートライス家の下働きをしている。彼は裸足でスタスタ私の先を歩いてくれる、ズボンはブルマーのような短パンでTシャツ姿だ。バス停で私の行き先を運転手に話してくれたらしい、運転手はきちんとジャンクションで私を降ろしてくれ、更に象の孤児園方面行きのバス停まで教えてくれた、損得抜きで親身に世話してくれるスリランカ人に頭が下がる、タイ同様仏教の影響なのだろうか。
 象の孤児園には名前のとおり、森の中で親からはぐれたり、親を亡くしたり、怪我をして自立出来ない象たちを集めて保護し、調教する場所であると云う。 30頭あまりの象たちに、一日三回水浴びさせたり、子象にミルクを与えたり、観光客と写真を撮ったり、手に取るような近さに象達がいる、見ているだけで楽しいし、ここにはレストランも、お土産屋もあり終日楽しめる。

 
キャンディー → ダンブッラ行きの路線バス(南アルプス広河原ー北沢峠間のマイクロバスが活躍)
 
石窟寺院(黄金寺院)正面  洞窟内の仏像群と壁画
石窟寺院仏像群と壁画
ウダナ君の記事が載っている 「モンスーンの風に吹かれて スリランカ紀行」彩流社刊
  
 8月1日(月) 4日から始まるペラヘラ祭へ向けて町中のお化粧直しが始まった、世界からお客さんが集まってくるから大変なイベントなのだ、私はこの喧噪から逃げ出すように、次の滞在地に向けてバスターミナルに向かった。
 行き先は「ダンブッラ」、文化三角地帯の核心地に向かう。バスターミナルに着いて驚いた、行き先のバスは車のボディーに「広河原ー北沢峠」と書かれているマイクロバスなのだ。もちろんバスにはシンハラ語とタミル語と英語で、キャンディー・ ダンブッラと看板が掲げられている。

広河原、北沢峠は南アルプス北部の登山基地となっている、 中央線の韮崎または甲府からバスで芦安に向かう、ここからマイクロバスで夜叉神トンネルを潜ると、日本第二位の高山北岳(3,192m)の山懐に抱かれた広河原に着く、ダンブッラまで乗ろうとするこのマイクロバスは、ここから仙丈岳(3,033m)と甲斐駒ヶ岳(2,966m)の鞍部北沢峠まで向かう山岳バスなのだ。
 日本での役目を終えたこのバスは、第二の人生をこの様な形で迎えている。内装はきれいで、座席は綻び一つない、そしてエアコンはガンガン冷える、こんな上等なバスがスリランカで重要な路線を走っている。
 運転手が「何と書いてあるのか」と指差してきたので、持っていたマジックインキでローマ字とひらがなでフリガナをつけてあげた、彼は大喜びで「ヒロガワラ、ヒロガワラ」と叫んでいた。

 すっかり仲良くなった運転手に今日から滞在する予定の、ダンブッラレストハウス(RH)前で止めてもらうことにした。
RHの入口まで来たら、改装工事中で休業中の看板が架かる、仕方なく近くのサンレイイン(ホテル)に滞在する事にする。一泊朝付きでRs2,000だった、お目当てのシーギリヤやボロンナルワを訪ねたいので三泊する事にした。
 ダンブッラとは現地語で「水のわき出る岩」を意味する、この町にある石窟寺院が世界遺産に登録されており、その石窟からポタポタと聖なる水が落ちてくる、この水は寺の宝とされ、重要な儀式の折りに使用されるという。
 幸いなことにホテルの隣がビヤホールだった、荷物を置いてシャワーを浴びて、ビールにありついた。おつまみは日本から持て来た袋菓子柿の種とアラレ。現地調達のおつまみは「ムルック」で、これはベビスターラーメン様でカレー味になっていて、グリンピース、落花生、豆等が混じる、辛いがポリポリいつまでも手が出る。

 午後は歩いて15分位の所にある世界遺産「石窟寺院」を訪ねる。紀元前一世紀シンハラ王朝のワラガムバーフ王によって作られ、ボロンナルワ朝、キャンディー朝と各時代の王によって修復拡大が図られて来た。
 寺院にお参りしたあと裏山に登る、10分程上った岩山の頂上付近にある天然の洞窟の中に、たくさんの仏像と、極彩色の壁画が描かれている、日光が射さないから色褪せない色彩がきれいに残っていて素晴らしい。
洞窟内は第一窟から五窟まであって、それぞれ「神々の王の寺」、「偉大な王の寺」、「偉大な新しい寺」等名が付けられている。おびただしい量の石仏と壁画はいつまで観賞していても飽きない。

 夕方ホテルに戻ってまたビールを飲んでいると、スリーウイラー(三輪オートバイのタクシー)の運転手が近づいてきた、「先生は日本人ですね!」と、結構流暢な日本語で話しかけてきた。キャンディーにある日本語学校で勉強したのだと言う。将来日本人のためのゲストハウスを作るのだと云っている、そして私に日本語の本を見せてくれた、「モンスーンの風に吹かれてースリランカ紀行」彩流社(柳沢正著)本文の一節に彼の記事が載っていた。名前は「ウダナ」君。
話を聞いていると実直そうで、しきりに私の役に立ちたいと云っている。
 明日は一人でシーギリヤへ遺跡見学に行くので、あさって8月3日「ボロンナルワ遺跡には君のウイラーを使うよ」と云ったら大喜びで「本当ですね!先生」と念を入れてきた。バスならばRs70で行けるが、ウイラーではRs300かかる、自動車ならばRs6,000だと言う。 続く