紀行文

スリランカを歩く(7)
2012年01月14日
池 内 淑 皓
[シーギリア]
 
文化三角地帯の地図、ダンブッラ、シーギリア、ポロンナルワ、アヌラーダプラ
                             (地球の歩き方「スリランカ」より)
王宮を囲む掘 王宮内からシ-ギリアロックを望む
シ-ギリヤレディー(裸の女性が王女だと云う)   
岩の頂上に到達 岩上の宮殿
岩上の玉座(椅子はつるつるに磨かれている) 頂上へは鉄梯子で上る
 
 8月2日(火) スリランカ訪問二番目のお目当ては、シーギリアにある世界遺産を訪ねる事にあった。
459年父を殺し兄弟と争う、弟はインドに亡命、骨肉相食む戦いの末王の座についたカーシャパは、ジャングルの中にある巨大な一枚岩の頂上に宮殿を作り、11年間も君臨したと言う、狂気の王の遺跡である。そしてその岩山には、スリランカを代表する美女のフレスコ画が、見事なまでに完全に残されている。

 宿から歩いて20分、バスターミナルからシーギリヤ方面行きの路線バスに乗る、40分程で堀を巡らせた王宮入口に着く。チケットは既にキャンディーで周遊券を購入してあるから、検札を受けて遺跡に向かう、城壁を跨ぎ王宮内に入る。
 王が沐浴したという石造りの遺跡を抜けると、正面に独立した東西100m、南北180m高さ200m程の巨大な一枚岩が現れて来る。カーシャパはこの岩山のてっぺんに宮殿を築いたのだ、攻め込まれて、兵糧攻めにあったら簡単に陥落してしまうだろう。
 この国を占領したイギリスが頂上までの階段を作った、今私達はその階段を利用して上る、途中岩の窪みを通過すると、上半身が裸で妖艶な姿の、美女達のフレスコ画が目に飛び込んでくる。
 王女に仕える美女達が、お盆に仏へ手向ける蓮のはなびらを捧げている絵が、特に鮮明で美しい、昔は500人ほどの美女達が描かれていたと言うが、現在は18人程が確認出来る。
今から1,500年前の作品である、直射日光が当たらなかったから残ったのだろう、そして白さを保つために、岩肌に塗る石灰には蜂蜜が練り込まれていたと言う。
 岩肌に沿って鏡の様な光沢を持つ回廊を抜けると、少し広いテラスに出る。岩にライオンの前足が彫刻された入口から頂上まで、鉄製の階段を一気に上る、岩の頂上は平らで、宮殿のあった礎石の石組みが昔を語る。
石に彫りつけられた王の玉座は、西向きに特別に磨かれていて、孤独な王の姿が目に浮かぶ。

 折角であるから遺跡のそばにあるシーギリア博物館を覗いた、日本がスリランカ支援の一環として、当時の福田赳夫総理の肝入りで作られた。
 自然の中で自然に調和する様な構造の博物館で、スリランカでは垢抜けている。シーギリアレディーのフレスコ画の複製が、作成過程の説明と共に、忠実に再現されているのが良い勉強になった。

 夕方宿に戻るとウダナ君が待っていた、「先生明日のボロンナルワ行きは大丈夫ですか?」と聞いて来た「OKだ!約束は守るよ」、と云って安心させた。
 スリーウイラーの運転手は比較的貧しい人達がやっている、ウイラーの貸し主から一日Rs500で借りて稼ぐ、ガソリン、車の修理代は借り主持ちだから余り稼げない、ボロンナルワ行きのような一日がかりの利用は利益が出る。町中をチョロチョロ走っていても利益はあまり出ないのだ、私は昨日の約束通りRs3,500で OK した。

 
[ポロンナルワ遺跡]
 
カメレオン オオトカゲが道を横切る
象の親子が国道に出没 ポロンナルワ遺跡1
ポロンナルワ遺跡2 ウダナ家の家族
庭先で乾杯、 後方は工事中のゲストハウス ウダナ君一家と食事
 
 8月3日(水)9時ポロンナルワ遺跡に向けて出発、国道を走らず枝道をゆっくり走りながら野鳥を観察したり、カメレオンを捕まえたり、大トカゲの出現にビックリしたり、象の親子が食事している所にも出会った。野生の象は、特に親子連れの場合は要注意だという、「写真を撮影するときは50mより近づくな」、と警告された。象は時速40km程の早さで追いかけてきて、ウイラーや自動車は簡単にひっくり返してしまうと云う。日本ではあり得ない体験をしながら2時間程でポロンナルワ遺跡に到着した。
 このポロンナルワ遺跡も世界遺産の一つで、10〜12世紀にかけてシンハラ王朝の都があった所。日本の平安末期頃に栄えたこの都は、遠くシャム(タイ)やビルマ(ミヤンマー)から僧が訪れるほど栄えたと言う。
 
 王たちは、まず都の真ん中に巨大な潅漑用貯水池を作り、町を巡る水路を掘り田畑を潤した。民は満足し、平和で豊かな時を刻んだと言う。
 13世紀に入るとインドのチョーラ王朝の侵略を受けて、シンハラ王朝は内陸部のキャンディーへと退くと、インドの支配下に置かれ王朝は衰退して行く。そして1,900年以降遺跡の発掘が始まるまで、ジャングルの中に埋もれてゆくことになった。
 ウダナ君運転のウイラーは宮殿跡に横付けする、ここが遺跡の入口であり、中心地である。遺跡入場券はUS$25であるが、既に周遊券を持っているのでそのまま入場、遺跡の広さは4km×9kmの広さに分散しており、ほぼ一日がかりの見学となった。構築物は既に無く、石の基壇と柱と、壊れた仏像が在りし日の栄華を偲ばせてくれる。それぞれ石造の建築物はカンボジャのアンコールに匹敵するくらい精巧で、緻密な彫刻は息を呑む素晴らしさであった。 5時間程遺跡巡りをして帰路についた。

 ウダナ君が今晩家に招待してくれると言う、昨日からの行動を観察していると、どうやら本当らしい。奥さんと、3才になる女児が居ると言う、家は新しく購入して、別棟にゲストハウスを建設中だという、お金が貯まり次第、少しずつ建設して行くのだと張り切って答えてくれた。「是非奥さんの手料理を食べて下さい」と云うので、招待を受けることにした。町でビールを買い、そのままウダナ君の家に直行。

 彼が自慢しただけあって綺麗な奥さん、年は23才、名を「タキシラ」と紹介された、3才の女の子は名を「サケタ」と言う、人なつっこくすぐ私になついてくれた。ウダナ君も家族のために一所懸命働いているのがよく分かるし、奥さんも英語の先生として働いている、血筋は奥さんの方が良くて、上品なシンハラ人だ。ウダナ君が一目惚れして強引に結婚したのだろうか、日本へ帰ったら、サケタちゃんの夏服を送ろうと思い、書いてくれた住所が、奥さんの実家になっていたので分かった。
 心づくしの美味しいチキンカレーを、お腹一杯ご馳走になった、そして素晴らしい歓待に対して、私は心からお礼の気持ちと、ゲストハウス建設の一助にと、スリランカのサラリーマンが働く、1ヶ月分に相当するお礼を奥さんに差し上げ、ホテルに戻った。 続く