紀行文

スリランカを歩く(8)
2012年02月14日
池 内 淑 皓
[アヌラーダプラ]
 
アヌラーダプラの地図(地球の歩き方「スリランカ」より)
 
宿泊したホテルシャリニ スリーマハー寺院の 菩提樹
菩提樹の下で祈る おまじないのリストバンドを付けてくれる
スルムニア精舎(紀元前三世紀の僧院が残る) ルワンウエリ・サーヤ大塔
ジエータワナ・ラーマヤ(塔の高さ70mを誇る) ムーンストーン
僧の沐浴場跡(きめ細かな石組みに驚く) 乗るたびに脱線するのではないかと気が気でない線路
 レストラン “キャセロール”で「デビル」を食べる、肉は牛肉、ご飯はベジタブルミックスライス(野菜チャーハン?) 
 8月4日(木)、今日は文化三角地帯最後の訪問地「アヌラーダプラ」に向かう。この町は紀元前500年頃に栄えたスリランカでは最古の都があった所で、仏教は紀元前3世紀インドのアショーカ王の息子マヒンダによってこの地に伝えられ、ここから仏教はアジアへ広がって行った。日本の仏教伝来は、538年飛鳥時代、ネパールを越え、チベットを経て中国から伝来した。

 朝宿を出ようとしたらウダナ君が見送りに来てくれた、ウイラーに乗せてバス停まで送ってくれると言う、「ゲストハウスが出来たら、最初のお客さんはあなたですよ」と念を押されて車中の人となった。
アヌラーダプラまでエアコンバスで2時間走り、町の入口に到着。お目当てのホテルまでスリーウイラーで走ってもらった。 今日から泊まるホテルは、今までゲストハウスばかり宿泊していたので、エアコンの利いた少し上等なホテルに泊まりたくて、日本からインターネットで予約を入れておいた。一泊朝食付きでRs4,000(2,800円)、三泊以上すれば2割引と云うことで四泊する事にした。仏教伝来の地でゆっくりしたいし、体調は万全であるが、古希を迎えた年齢でもあるし、異境の地での独り旅は、体力的にも精神的にも疲労が蓄積している可能性があるので、少しペースを落として行動したかった。

 ホテルシャリニは緑に囲まれていて(椰子の木、パンの木もある)コテージ風の建物が快適、部屋にはテレビもありNHKの衛星放送も入る、シャワールームが広く熱い湯も出るし、貸し自転車もあり、エアコンが特に有り難い、今アヌラーダプラは乾季で暑いのだ。
 コロンボから先ここまでズーッとRs2,000そこそこで泊まってきたから、天国に来た感じがする。頼ば部屋までビールが運ばれて来るし、ホテルの食堂に行けば、風通しの良い2階で快適に食事が出来る。

 昼食は歩いて町に出て、ガイドブックに出ているキャセロールと言うレストランで食事、1Fはスーパーで買い物が出来る。ここで食べた「牛肉のデビル」が絶品の味だった。私はこの日以降三日間、ここでデビルを食べまくった。牛肉のデビルは中華料理の「酢豚」の様で、豚の代わりに牛肉が使われる。横浜の中華街にある中華料理店の味と全く同じであった。
 腹ごしらえの後は、8月8日コロンボまで帰る列車の、座席指定券を買いにアヌラーダプラ駅に向かう。アヌラーダプラ発6:30、コロンボ着10:40のインターシィティー列車(急行)の座席指定券が取れた。これで4日間安心して滞在出来る。

 ホテルまで町を散策しながら歩いて帰る、線路のそばを歩きながら驚いた、微妙にレールが歪んでいて、おまけにレールに窪みがあるのだ。この国は線路内を家畜、人が横切るのは当たり前だから、列車が急停車、急発進する度に線路が削られるのだろう。それで7月25日コロンボからバッドウラまで乗た夜行列車がやけに前後左右、上下に揺れた理由が分かった。
 日本の電車はなぜ揺れないのだろうか、帰国して了解した。レール頭部、側部の形状を適切に保つために、レールの凸凹を修正する「レール削正車」という、レールを削る機械がある事が分かった。レールは列車が走行する度に形状が次第に摩耗し、波打つ様な状態(波状摩耗)や偏摩耗が発生するのだと云う、それで納得した、スリランカの鉄道はこのメンテナンスをしていないのだ。今晩は久し振りにエアコンの利いた快適な環境で熟睡した。

 8月5日(金)、今日は紀元前377年スリランカで初めて王朝の首都が置かれた遺跡群を歩く。日本の弥生時代に相当するが、女王卑弥呼は未だ日本の歴史に登場する以前の遺跡である。ホテルで自転車を借りて終日遺跡廻りをすることにした、自転車の泥よけを見て驚いた「練馬区大泉学園」とエナメルで書かれてあった、またまたここでもメイドインジャパンが第二の人生で活躍している。 スリランカを代表する遺跡群を歩くには一日を要するが、私は自転車で二日かけて巡ることとした。

 まず仏教の聖地として崇められている「スリーマハー寺院の菩提樹」を見に行く。
紀元前三世紀インドのブッダガヤにある菩提樹の下で、釈迦が悟りを開いたと言うその菩提樹の分け木がここに運ばれ、当時のデーワーナンピア・ティッサ王が植樹したとされる、樹齢2,000年と言うが樹木が少し小さくウソ臭い感じがした。
 ここでは多くの信者達が菩提樹に供物を捧げ、一心にお祈りしている姿は心打たれる、無信心の私にはあまり共鳴しないのが少し寂しい、境内でお坊さんがおまじないの糸を私の右手に結びつけてくれた。健康と、道中の安全を守ってくれると言う。紐はひとりでにすり切れるまで、取り外してはいけないと云われたので、そのままで日本に帰ってきた。お陰で事故もなく、健康な体で無事帰国出来た。

 イスルムニア精舎、ルワンウエリ・サーヤ大塔、仏陀の鎖骨を祀ったトーパーラーマ・ダーガバ等、貴重な遺跡群の一つひとつを説明したいが、これらは他の解説本に譲るとして、一つだけ素晴らしい石造物を紹介したい、「ムーンストーン・サイト」と呼ばれる半円形の踏み石である。 王妃が住んでいた建物の石門の階段入口にそれはある、大理石に人間世界、渦巻く欲望、生命の力と活力、誕生、老齢、病、死の輪廻転生を動物の彫刻に託し、円の中心には蓮の花を刻み年輪のように石に刻み込まれている、これが紀元前の事であるからただ驚くのみだった。
                                             続く