紀行文

スリランカを歩く10)
2012年2月28日
池 内 淑 皓
[ゴールへ移動]
スリランカ南西部(コロンボからゴールまで) ゴール城塞都市(東西600m、南北1km)
[地球の歩き方 スリランカより ]
朝のアヌラーダプラ駅 ホームで列車を待つ
列車で隣り合わせのTV局のプラカウシさん家族 コロンボまでの切符  6時40分発D車両7席
ゴール(ガーラ)新市街 ゴール 要塞内の町並み
ゲストハウス カリッズの入口 かつて貿易商社の事務所の感じがする  部屋のベランダ  重厚な扉が歴史を感じる
滞在初日: インド洋に日が沈む インド洋を見ながらベランダで朝食
  8月8日(月)、今日はコロンボを経て島の南端「ゴール(ガーラ)」へ列車で向かう。
既にアヌラーダプラ到着の日に切符の購入が済んでいるから、駅には朝6時30分までに行けばよい。前日に総ての支払いを済ませて、朝食抜きでスリーウイラーを捕まえる。
 パブニア発コロンボ行きの列車が6時40分に来るはずがなかなか来ない、この区間を走るディーゼル機関車はインターシティーの急行で、座席指定の二等車が二両とビュッフェ車両が付く、7時過ぎてやっと来た。
ビュッフェで甘すぎるお茶とワディー(豆を刻み、野菜もスパイスも入れて練って油で揚げたもの、熱々で旨い)で朝食とした。

 隣座席に座る男性から声が掛かる、私が日本人だと知っているらしい、家族でコロンボに帰る所だと言う、名をプラカウシさんと云い、コロンボのテレビ局に勤めて居る。日本の衛星放送にも関係していて、地震、津波の情報をとても良く知っていた「コロンボに着いたら放送局に寄って下さい」とアドレスを書いてくれたが、時間が無くて行けず、少し心残りがした。
 今まで旅の期間中、青空だけの傘入らずであったが、列車が南下するに従って、天気が悪くなってきた。
スリランカの東半分はベンガル湾の気候帯に入り、乾季であったが、クルネーガラを過ぎてコロンボに近づくと、インド洋の気候帯に入り、雨が多くなる。この季節島の西側は雨期なのだ、今まで何となく精気のない木々であったが、ここに来てどんどん緑が濃くなるのを感じる。

 11:15終点のコロンボフォート駅に到着、列車の遅れは仕方ない、いつものことだ、ゴール方面行きの列車は14時までないのでバスで行くことにした。
 駅の外れにある民営バスターミナルで、エアコン付き快速バスでゴールに向かう。道は鉄道に沿って走っており、車窓の右手は真っ青なインド洋、左手は黄金椰子林やバナナ畑、青々とした稲田が続く。距離130km、3時間半程窓越しの風景を堪能して、ゴールのバスターミナルに到着した、鉄道はこの先、南端のマータラまで延びている。
 ゴール(現地では「ガーラ」と言う)はスリランカ南部最大の町であり、ここには世界遺産の城塞都市があり、国際観光地となっている。

 リュックサックを背負った私をめがけて、スリーウイラーがすぐにじり寄ってくる、「何処に行くのだ、ホテルは?」と聞いてくる。二台目までウイラーを振り切ったら、三台目のウイラーに捕まってしまった。
 ガイドブックを見て、ホテルからインド洋まで歩いて2分、部屋からインド洋が見えると云う、ゲストハウス「カリッズ」に決めてウイラーを走らせた。すると私が座る座席の横に、運転手の仲間が乗ってきた、"NO”と云って手で払っても聞き入れない、ホールドアップが怖いから、すぐ大きな声で”STOP”を命じた。車は止まって、運転手も、彼も首と手を横に振り”no problem”と言う、ウイラー代はRs300だと紙に書いて見せる、オーケーだと言うからカリッズへと指示する、ゴールの要塞都市へ入るための古い城門を潜り、5分程走り到着した。

 カリッズの玄関に横付けしたら、鉄製の桟がいかめしい入口に鍵が掛かっている、中におばさんがいる、私が行く前に、飛び乗ってきた仲間が先におばさんと話している、おばさんは「駄目、駄目」と言うそぶりで扉を開けない、私は満室かと思い諦めて道路に出た途端、ウイラーの人達は走り去ってゆく。
ウイラーが見えなくなったら、おばさんが扉を開けて手招きしている、訳を聞くと、彼らは私をカリッズに案内したことにして、斡旋料が欲しくてついて来たのだと言う。
 部屋は空いているから泊まれると言ってくれた、二階の部屋からインド洋が見えるし、ベランダも広く、ツインルームの上等の部屋を見せてくれた。扉はオーク材の厚板を手斧で荒削りしてある、床も同様堅い板でウグイス張りとなっている(単に建物が古いだけだ)、シャワールームは近代的にタイル張り、外国人が宿泊出来る仕様となっている。シングルルームは小さくて、海が見えない、ベランダが無いので室料が安いけど快適でないので止めた。

 料金は夕食付けてRs3,900(3,120円)、朝食は付かないとの事、了解して四泊予約した。部屋に入って、扉を締めて驚いた。扉には、「部屋にお酒を持ち込んではいけません、部屋でお酒を飲んではいけません、カリッズにはアルコールが置いてありません」と書いてあるのだ。これには大きなショックを受ける、部屋を見たときには、張り紙が丁度扉の後になるように、ひとひねり工夫がしてあったのだ。

 赤道直下の北緯6度、毎日が27℃以上の暑さで、ビールを水代わりに呑んでいた私にとってはつらい。仕方なく、今日だけは夕暮れのインド洋を、アルコール無しで”ボヤー”と眺めて、シャワーを浴びて夕食とした、食事はパスタだという。
 食堂に入って納得した、柱の影にアラビア語のコーランが張ってあった。このゲストハウスの主人はイスラム人だった。道理で部屋にアルコール禁止の表示があるのが理解出来た。基本的にイスラムの人はお酒を好まない、仏教徒も同じ、この国のお坊さんは絶対お酒を飲まない、タイ国の僧侶も同じ、日本の僧侶は法事でお酒を飲む、山門には、「禁葷酒」と標石が立っているのだが、お構いなしの感じだ。

 今日はアルコールなしで、水と例によって甘い紅茶と共にパスタを食べる、パスタはカレー味で割と旨い。明日から食事無しで宿泊する事とした。あと三日で旅は終わる、少ない予算をやりくりして、少なくともビールかワインを飲みながらゆっくり旅を楽しみたいものだ、もちろん一人で食事だけど。 続く