紀行文

スリランカを歩く(11)
2012年3月01日
池 内 淑 皓
[ゴールフォートを歩く]
オランダ占領時代(1,658年)の要塞門 イギリス占領時代(1,769年)の優雅なテニスコートと時計塔
イギリス占領時代の教会 白亜のモスクと、要塞の砲台あと
要塞と時計塔  要塞から白亜のモスクと灯台
インド洋を睨む南端の要塞 ゴール入口の城壁と城門
ゴール国立博物館 ヒストリカル マンション内の宝石加工場
トパーズの原石を加工してくれたおじさん  茶店でロティーを焼くお兄ちゃん 
(円盤は砥石、丼に入っているのは宝石の原石、パレットにある棒に接着して、手回しで研磨する)
     
 8月9日(火),今日は終日ゴールフォート(ゴールの城塞という意味)内を探検してみる。
駅やバスターミナルは、ゴール城塞の外にあるので、これらを新市街と言い、インド洋に突き出た半島の砦内を旧市街と呼んでいる。
 砦内に入るには二つの門を潜らなければ行けない、門の一つは、1,650年代にオランダが築いたオールドゲート他の一つは近代に設けられたゲート。
 そもそもゴールは14世紀、大航海時代、大いに栄えた海のシルクロードの中継地なのだ、アラビアの商人達が、スリランカを拠点に東南アジアから香辛料、絹、陶磁器等の交易を中継する場であった、もちろんヨーロッパ、ペルシャ等から多くの文物が東洋の僻地(失礼)に送られた。日本へも、ガラス、時計等多くの貴重品が渡来している。 1,589年(天正17年豊臣秀吉の時代)ポルトガル人が交易の拠点として、この半島を占有し砦を築く、
1,658年(万治元年江戸時代)に入るとオランダが進出してきて、砦を拡張し城塞の中の町を整備する、1,796年(寛政8年)にはイギリスがセイロン島を占領し、シンハラ王朝を滅ぼしてしまう、
1,944年第二次世界大戦で、日本が一時占領したが、1,948年やっと独立した。
 この経緯で納得した、ゴールフォートはアラビア商人の末裔達が、代々ここに住み着いているのだ。この国はシンハラ人が約73%、タミル人が18%、ムーアー人(イスラム系)8%、わずかなキリスト教徒の構成となっている。

 半島を一巡りしてみると、城塞内には仏教寺院が無かった、教会とモスクだけだ。ここ城塞内は今まで訪ねてきたスリランカの町とは全く異なっているのが分かった。
 そして海から来る外敵を撃退するために、多くの要塞があり、そこには大砲を据えた砲台の跡が、史跡となっている。要塞の上を歩いて一回りすると、半島を一周したことになるから、インド洋の潮風に吹かれながら一巡りしてみる。ムーン要塞、スター要塞、アエロス要塞等貴重な世界遺産が大切に残されている。
 一回りしてホテルの前に戻って、ビールを呑もうと茶店に行くと、「お酒はありません」とすげない答、ガーラッフォート内には酒屋がありません、呑みたければ外国人が泊まるホテルか、外国人が行くレストランしかありませんとの事。
 そこで私は茶店のお兄ちゃんに、「私はカリッズに数日居るから、外に出てビールを買って来て」と頼んだ、ここには冷えたジンジャービヤー(ビールでなく炭酸入りの清涼飲料水)や、コーラが冷やして置いてある。
OKとなった、お兄ちゃんはウイラーを使いにやって、ライオンビールを買いに行かせた、15分程で戻って来た。お兄ちゃんに、8月12日まで「私のために全部ビールを保管しておいて」と頼む。
 一本ぶら下げて、要塞の上に腰掛けて飲み始める、ツマミはお兄ちゃんが特別焼いてくれた、野菜たっぷりのロティー、夕暮れのインド洋を肴に熱々のロティーをかじりながら冷たいビールを呑む。一人ぼっちが少し侘びしいが、はるばるここまで独り旅を続けてこられた好奇心に、我ながら頭が下がる、日が落ちるまでビールで晩酌。

 8月10日(水)、今日は「ゴール国立博物館」と、植民地時代からの品々の展示や、宝石の加工をしている「ヒストリカル・マンション」を訪ねてみる。
 ヒストリカル・マンションは個人の博物館の感じで、特に宝石のカッティングを見学した。この国はルビー、サファイア等ダイヤモンド以外のほとんどの宝石を産出する、特にラナトープラ地方は簡単な小屋掛けをした宝石の採掘現場を見学出来る。
 私は神さんのお土産用に、とびっきりのトパーズの原石を選んで加工してもらった。さすがに職人、丁寧にキッチリと、本人が納得するまで根気よくカットしてくれた。
 次の訪問は国立博物館、規模は小さいが、植民地時代のコイン、調度品、木工芸品が並ぶ。
博物館を出ようとしたら、急なスコールで、土砂降りの雨が降る、今ゴールは雨期なのだ。玄関で雨宿りをしていると館員が声をかけて来た、名前を”モホティー”と名乗った、片言の英語で日本のこと、スリランカのこと、日本語、スリランカ語の会話の勉強を、雨が上がるまで行った。
 「いつ日本に帰るのか?」と聞いてきたから、「8月12日に帰る」と答えた。
「ここからどんな乗り物で帰るのか」と聞くから、「ここに来るときはバスで来たから、帰りはコロンボまで10時55分発の列車で帰る」と答えたら、8月12日は彼も同じ列車でアヌラーダプラまで行くという、当てにはしないけれど、一緒に二等車に乗ろうと約束して分かれた。  続く