その五
八柳修之 |
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Bルート(くげぬま37号踏切からY氏宅まで) |
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往時、皇大神宮は大庭御厨管理の中心地であり、御厨の貢物が集められ、引地川を下って、江ノ島で外洋用の船に積み替えられ伊勢に送られたのではないかと考えられている。その三の地図で見られるごとく、高山橋の手前のヤクルトの辺りが舟積場、そこから参道が真直ぐ続いている。宿庭(しゅくば)という地名もあることが裏付けともなっている。 東海道、引地橋(仮橋であった)を渡ったあと皇大神宮へは、西行当時はどの道を歩いたか。現在の道は、引地橋から川沿い、バス停一中入口、湘南高校入口から入る3ルートがある。ともあれ、皇大神宮を出たあと、くげぬまみち37号踏切を渡るBルート、鵠沼第2踏切を渡るCルートを歩いてみる。 BとCとの間はわずか30mくらいである。こんな短い間隔にあるのは奇異であるが、いずれも昔からの道であったことの証明にもなるのではないかと思われる。 御詠歌に たび衣 はるばるここに くげぬまの 普き門に来る うれしさ と詠まれている。
右折して直ぐ左折すると小田急線鵠沼中学踏切である。 B.C合流道1本 Y氏宅はBルートとCルートとの合流点である。その五では、CルートからY氏宅までの道と、それ以降の道について歩いてみたい。(続く) |