小栗判官伝説ゆかりの里を訪ねる-2

八柳 修之


  

先に見た伝説を踏まえて、小栗ゆかりの地を歩いて見る。調べる。歩いて見る。結果をまとめる。これもウォーキングの楽しみ方の一つである。それに物語に興味がなければ、なにこれウォーキング。運動だけである。他に景色の良い所が沢山ある。
出発は六会日大前駅東口、駅前通りを東へ直進、信号を三つ横断した先に野菜直売スタンドがある。右に曲がり進むと小栗市民の家がある。この付近道場ヶ谷と言って、遊行道場のあった所と云われるが、今は住宅地となっている。農道、変電所脇を進むと403号菖蒲沢戸塚線に出る。左に曲がると下り坂(小栗坂)になり左側に湘南ゆうき村という福祉施設がある。ここまで25分。
施設のフェンス前に伝承小栗塚之跡の碑がある。この辺り、小字を小栗塚というから塚があったのだろう。道路の新設で碑のみが残る。分断された道路の反対側、擁壁の階段を上ると、小栗が蘇生したという土震塚(すなふるいつか)、畑の中にサカキの巨木が一本立っているだけの風景である。
小栗坂を下ること5分あまり、西俣野バス停先に花応院入口の案内がある。進むと曹洞宗花応院がある。本堂に安置されている閻魔大王像は、天保11年(1840)、この後、訪ねる閻魔堂火災の際、村の若者が花応院へ運び込んだものという。また、地獄変相十王絵図、閻魔宝印、小栗判官縁起絵は、旧名主、飯田五右衛門家の蔵に保管され、戦後、花応院へ移された。
毎年、1月と8月の16日には、十王図、小栗判官縁起絵の絵解きが行われる。檀家以外でも見せていただけ、筆者も見たことがある。長生院の縁起が、父満重を主人公、照手姫を遊女としているが、花応院では子、小次郎を主人公、照手姫を横山の娘とする。
花応院
瞽女淵と土手番様の碑
閻魔堂跡 小栗墓塔
疲れたら、向かい側、日本一小さいという牧場、飯田牧場で、アイスクリークを食べるのもよいだろう。
山門を出て、左に曲がり境川に向かって下りて行くと、元名主の飯田家の豪邸があり、鉄塔の下に、瞽女淵と土手番様の碑がある。
境川は昔、俣野辺りで曲がりくねって多くの淵があり、どっぶたと呼ばれる湿田であった。延宝年間(1673~81)、土手が切れて出来たこの辺りの淵に瞽女(ごぜ、三味線を弾きながら門付けして歩いた盲目の女旅芸人)が、落ちて死んだため、瞽女淵と呼ばれるようになった。この石碑は殉難者供養碑として大正元年(1812)に村人が建てたものである。
その隣にある土手番様の碑、摩耗して判然としないが、水難除けの碑であるという。
あぜ道を進むと左の木立の中に閻魔堂跡がある。以前は標柱が建っていたが、無くなってしまった。北村家と飯田家の墓所となっていて、募域内に小栗墓塔と刻まれた角型石塔が建っているだけである。昔、この辺りに遊行道場があり、遊行寺と相模原当痲寺を行き来する時宗僧の通り道になっていた。近隣の人を集め、地獄絵を使って善悪を説き布教していた。この辺り一帯、小字を御所ヶ谷といい照手姫の御所があったといわれる。
さて、これからは、西俣野バス停まで戻り、湘南台駅まで戻ってもよいが、横山の館があったとされる龍長院付近まで行って見よう。境川サイクリングロードに出て、金沢橋を渡り、緩やかな坂を上っていくと曹洞宗天王山龍長院がある。開基は相模入道西林、室町時代に堅心を開山として真言宗の龍長庵を創立、慶安元年(1648)に曹洞宗に改宗している。
龍長院
この寺の前辺り一帯が殿久保、横山の館があったとされる。その先が八坂神社、以前は欽明天王社といい、村の鎮守様である。この道は鎌倉上の道(西道とも)であるという案内板があり、道なり南に進むと東俣野中央公園に至る。左に曲がり進むと東海道影取に至るとある。
八坂神社
花応院門前の案内(西俣野小栗判官一代記)によると、小栗は東海道を通り、藤沢宿に入る前に横山の館に泊まったとある。筆者は影取に出て、東海道を下り遊行寺長生院小栗堂にお参りし、ウォーキングの終わりとした。12~13km歩いただろうか。
小栗判官と十勇士の墓  

参考:史実
小栗満重:応永の乱(1422~1423)で、足利持氏に反乱するも崩壊し1423年、居城の小栗城で自刀して果てる。 完