紀行

マレー半島縦断列車の旅(1)

 2013年1月8日 池内淑皓

 インドシナ半島の国々を訪ねる旅の総決算として、タイバンコクからマレーシアを経てシンガポールまで19日間、寄り道自由な列車の旅を楽しんだ。
旅行計画は平成24年初に立てて、航空券はANAを利用する事とし、成田―バンコク間は昼間のフライト、シンガポールから羽田へは夜行便とした。昼間のフライトは明るいうちに現地に到着して、安ホテルを探すのに楽であるからが理由である。(夜になって見知らぬ土地で安宿を探すのはとても大変、目立つ所に無いから)
 バンコクからタイ国有鉄道の終点であるマレーシア国境のパダンブサールまでは、寝台列車に乗りたくてHISに手配してもらった(確実に乗りたいから)。航空券は5か月前の早割、特割を利用して税、燃料、保険含めて75,000円であった。19日間の日程は格安航空券利用期間の定められた日程である、それ以上はオープンチケットとなり値段が高くなる。
 平成24年11月16日(金)成田空港を10:50出発した、タイ スワンナプーム空港到着は16:05定時であった。
昔はアユタヤに近いドムアン空港であったが、2006年バンコクの東32kmに新しく造られた、この空港日本の円借款で作られている。モダンでアジアのハブ空港として大活躍だ。因みにスワンナププームとは「黄金の大地」という意味で、プミポーン国王が名付けた。

  
バンコク ファランポ−ン駅 プラットホーム

 空港には25年前からお付き合いしているナパポーン(mam)と云う友達が迎えに来てくれる、電車でマッカサン駅に行き、地下鉄に乗り替えファランポーン駅で降りる。
目指すホテルは駅前のビジネスホテル、暑さに体を慣らすために3日程滞在する事にした。宿泊料は一泊朝付で2,200円、駅に近くて便利な安宿だ。

 このホテルはとてもつらい思い出がある、1987年タイを一人旅した時のこと、10日間の旅を終えて帰国のため早めに空港に着いて荷物を預け、搭乗券も持ち、出発間際の買い物の際中、飛行機はスーツケースと共に私を残して出発してしまった。
 空港係官に腕を掴まれ、出国審査を逆に通り、パスポートに”キャンセル”の印を押されてしまった。私は航空会社のカウンターで必死に談判する、「私を探してくれないあなたたちが悪い、私は英語が話せない」とまくしたてた。荷物のクレームタッグを持っているから絶対に飛行機に乗るのだと言い張った。実を云うと、私は格安航空券で来ているから、自分のチョンボの場合チケットは無効で、新たに航空券を購入しなければならない状況であった。タイ航空は折れてきた、翌日もう一度乗るべき同じ飛行機に空席があれば載せてあげるといってくれた。そこでファランポーン駅まで戻って、このホテルに泊まったのだ。一晩中頭が冴えて眠れなかった事がよみがえってくる。翌日幸い大阪空港行きの便に空席があって、無事日本に帰る事が出来た苦い経験が頭をよぎる。

 バンコク滞在中は国立博物館、国立美術館、解剖学博物館を見学した。チャオプラヤ川畔にある、国立シリラート病院にプミポーン国王が入院しているので、病棟にお見舞い申し上げた(病室ではない)。この日は丁度土曜日で、市民と高僧達による病気快癒のお祈りをしていた。毎週土曜日快癒のお祈りをするのだという。
 この病院には解剖学博物館、法医学博物館があるのでついでに見学する。
解剖学博物館は、人体の臓器を輪切りにして展示してあったり、全身の血管、神経、リンパ管等珍しい臓器がホルマリン漬けにされて展示されている。特に奇形児の標本の前では気持ちが悪くなり、標本から目をそむけた。
法医学博物館は凶器、毒薬、銃弾、首を吊るロープ等不気味な物ばかり展示されている。
 
国立博物館にて 友人mam と シリラート病院に プミポーン国王を見舞う
病院の中庭で 快癒のお祈り 解剖学博物館にて 脳の輪切りの標本

続く