紀行

マレー半島縦断列車の旅(3)

 2013年1月24日 池内淑皓
 今後の文章作成に関する情報は、地球の歩き方「マレーシアブルネー 」(ダイヤモンド社)、マレーシア政府観光局発刊の冊子、外務省情報、ヤフー及びブーグルの検索システムによった。
 列車は3時間も遅れて、15時終着駅マレーシア国のペナン州バターワース駅に到着した、1,136kmを24時間かけて乗ったことになる。
ほとんどの人がフェリーを利用してリゾート地ペナン島に渡る、私も皆さんにくっ付いてフェリー乗り場に向かい、フェリーは往復31円で安い。マレーシアの小銭の持ち合わせがなくうろうろしていると、ライスさんが料金を支払ってくれた、さすが英国紳士。
 フェリーは20分程で歴史的建造物が残る世界遺産の町「ジョージタウン」に到着する。世界中の観光客が集まるリゾート地であるが物価は安い。 
 まず食事事情について記述したい、この町は華人(中国系)、マレー人、インド人、ネパール人ら約70万人が住んでおり、食事は主としてカレー系と中国系料理に分かれる。 私は主として朝は中国系のあっさりした食事、昼はマレー系のナシゴレン(焼き飯)やミーゴレン(焼きそば)、夜はおインド系のカレーと食べ分けた。三食カレー系だと胃袋がおかしくなってしまうからだ。
 現地のカレーは日本のカレーとは全く異なる、全体に”みずっポイ”、日本のように”ドロッ”としていないがコクがあって美味い。材料は鶏、羊、魚、野菜のすべてがカレー煮で豚肉は使わない、御飯はインデカ米でパサパサしているがカレーの汁と良く合う、もちろん”ナン”も一般的。
 旅の期間中出来るだけこのパターンを守り、水は市販のミネラルウオーターを飲み、露店の屋台はあまり利用しなかった。おかげで旅行期間中体調不良は無く快適な旅を続けられた。
宿はビジネスホテル利用で一泊2,400円(Sルーム、バス、トイレ、エアコン付) 4泊した。
     
バターワース、ペナン島、ジョージタウン 地図
インド系カレー屋さん(指差して品目を選んでお皿に盛ってもらう) チキンのカレー煮と野菜のカレー煮ライスもカレー味  
マレー系のお店(ナシ・ルマッ)朝食用 チキン、ゆで卵、つくだ煮、野菜、ココナツミルクで炊いたご飯(ナシ)
中国系の屋台 お粥とラーメン(チキンを入れて煮ている) お粥がうまい!
 世界遺産の街を少し紹介しよう。
 ペナンとはビンロウ樹と云う意味で、実を石灰と共に噛むと覚醒作用がある(タイではキンマと云う)。
島は淡路島の半分程360?の大きさで、町の中心地ジョージタウン(1786年イギリス国王ジョージ三世にちなんで名付けられた)に人口が集中している。
1786年イギリス東インド会社が東南アジア進出の拠点にこの島を占拠し、東西貿易の中継地として繁栄してきた、イギリス統治時代からの歴史的遺産が多く残り、2008年ユネスコにより世界遺産に登録されて現在に至る。
 
・コーンウオリス要塞(1786年英国人フランシスライトが上陸した地点に造られた)
 
・ビクトリア・メモリアル時計台(1867年建立、英ビクトリア女王60年を記念して建てられた)
 ・ペナン博物館(1896〜1906年に学校として建てられた、第二次世界大戦時旧日本軍の展示もある)
 ・マハ・マリアマン寺院(1883年建設のジョージタウンで最も古いヒンズー教寺院)
 ・カピタン・クリン・モスク(1801年建立、マレーシアで最大のモスク、インドの伝統的なムガール様式)
 ・観音寺(1800年代に建てられたペナン島最古の中国寺院、屋根や柱の精巧な作りが見事、観音像を祀る)
 ペナンの街並み、右奥の建物はコムタの商業施設 中国人街の街並み
ビクトリア・メモリアル時計台 (1867) コーンウオリス要塞(1,786)当時は木製であったが1810年頃煉瓦作りとなった
ペナン博物館内の旧日本軍関係の展示物  昭和16年旧日本軍はこの地を占領したが、日本軍の侵攻は白人支配の神話を打ち破り、ナショナリズムの高まりをもたらした。

続く