寄り道さん歩

 寅さん歩 その3−2

東京十社の初詣


平野武宏

 新年を迎えての最初の散歩は初詣です。「初詣では氏神さまから」で近くの神社に詣で、氏神さまをおせち料理でお迎えするのだと知りました。
昨年東京に移住した寅次郎も平成25年(2013年)元日の朝は、近くの「天祖神社」と「子安神社」に初詣を済ませました。
ウォーキングの世界では1月は各地の初詣の例会や七福神めぐりでスタートします。
東京での初詣コースで「東京十社めぐり」があると知りました。有名な神社ばかりなので個別には行ったことのある神社もありますが、通して歩くのは初めてです。2回に分けて歩きました。東京都ウオーキング協会は毎年初めにこのコースの例会があります。各神社の写真などの情報は各神社のホームページを参照願います。(神社名で検索できます)なお、最寄り駅は代表的な駅です。
東京十社とは
 慶応3年(1867年)10月将軍徳川慶喜は大政奉還し、約250年の徳川幕府の終止符をうちました。明治天皇は王政復古を宣し、江戸を東京と改め、慶応4年(1868年)9月に「明治」と改元、江戸城を皇居として、新しき東京の出発が始まりました。
 明治天皇は東京の鎮護と万民の安泰を祈るため明治元年(1868年)11月8日「准勅祭神社」として十二社を定めました。しかし明治2年(1870年)9月1日でこの制度は廃止。神社は府社・郷社とされました。第二次大戦後、政府による社格そのものが廃止。昭和50年(1975年)昭和天皇即位50年を奉祝し、遠隔地の六所宮(府中町 現在の大國魂神社)と鷺沼神社(埼玉県鷺沼町)の2社を外した十社をめぐる「東京十社めぐり」が企画されたそうです。
 

2日目:富岡八幡宮(江東区)〜日枝神社(千代田区)〜氷川神社(港区)〜芝大神宮(港区)〜品川神社(品川区)   約17km

富岡八幡宮(深川八幡)  江東区富岡1-20-3
  最寄駅東京メトロ東西線 門前仲町 

    

 寛永4年(1624年)長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し永代島八幡宮を建立したことが創建とされているが江戸時代初期の深川干拓が難航ため横浜市の富岡八幡宮を分霊したとの記録もある。
隅田川両岸(深川・新川・箱崎)の氏子をはじめ広く人々の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで「深川の八幡さま」と親しまれている。
「深川八幡祭」は江戸三大祭りの一つに数えられ氏子町内神輿120数基による勇壮な水かけ祭りとして知られる。平成3年(1991年)に復活された御本社神輿は台輪幅五尺の日本一の黄金神輿。
また江戸勧進相撲発祥の地の神社としても知られ歴代の横綱の名を刻んだ横綱力士碑がある。歩きの達人「伊能忠敬」もここから全国測量の旅に出立しており、伊能忠敬の銅像と記念碑がある。隣接して深川不動尊がある。

 永代橋を渡り、鍛冶橋通り、皇居馬場先門、皇居前広場の楠正成公像、西幸門、霞が関2丁目、溜池交差点を通り日枝神社へ。
日枝神社(山王さま)千代田区永田町2-10-5
  最寄駅 東京メトロ銀座線 溜池山王駅 

 
 江戸山王の創建の年代は不詳だが、古く鎌倉初期 秩父重継が江戸貫主を名乗り、館に山王社を勧請し、文明10年(1478年) 太田道灌が城内鎮守神として尊崇し、さらに徳川家康の江戸入府に際し将軍家の産土神と崇め、社殿を造営し神領を寄進(600石)。明暦の大火で社殿を焼失し、江戸城の裏鬼門の現在の地に遷座した。
 皇城の鎮護の神、大江戸の鎮護の神として今でも広く都民の尊崇を集め、「山王祭」は天下祭、御用祭とも称され、日本三大祭りの一つとされた。
社殿が高台にあるため上りはエスカレーターが完備してある。

 赤坂 鹿島建設先角を左折して氷川神社へ。

氷川神社(赤坂 氷川神社) 港区赤坂6-10-12
  最寄駅 東京メトロ千代田線赤坂駅
 
 
 天暦5年(951年)赤坂一ツ木に創祀。江戸幕府の尊信篤く、紀州徳川屋敷(旧赤坂離宮)の産土神の由縁によって享保元年(1716年)徳川吉宗が第八代将軍職を継ぐに至り、同年14年赤坂今井台に神徳を謝し現社殿を造営。
以降第十四代徳川家茂まで歴代の直拝朱印状が納められている。
ひっそりとした厳粛な境内は大都会の中にいることを忘れさせる。まさに江戸の「時」を感じされる。

 六本木4丁目地下道で渡り、イズミガーデンタワーに入りメトロ南北線構内を歩きエスカレーターで上がる。大都会東京らしいウォーキングコース。
神谷町緑道から神谷、町交差点、芝公園を通り、芝大神宮へ。
芝大神宮(芝神明さま)  港区芝大門1-12-7
  最寄駅 都営浅草線大門駅

      
 平安時代寛弘2年(1005年)に創建。源頼朝より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代には徳川幕府の篤い保護を受け、社頭はにぎわい大江戸の産土神として関東一円の「お伊勢さま」として多くの人々に崇敬された。
祭礼は期間の長さ(11日~21日)から「芝神明だらだら祭り」として知られる。江戸時代境内で起きた、め組鳶と角力とのいさかいは「め組の喧嘩」として再三歌舞伎で上演されその半鐘は今でも宝物として当宮に保存されている。

 東京タワーを背にした増上寺から日比谷通りに出て田町駅、泉岳寺、品川駅脇を通り、新八ツ山橋からゴールの品川神社へ。
品川神社  品川区北品川3-7-15  
  最寄駅 京急本線 新馬場駅
  
 
 文次3年(1187年)源頼朝が海上交通の安全と祈願成就の守護神として、安戻国洲崎明神である天比理乃当スを勧請し、品川大明神と称した。
 後醍醐天皇の御世に北条高塒の臣二階堂貞藤が産業の守護神として、宇賀乃売命を勧請し、社地を吉端岡と名付けた。文明10年(1478年)6月太田道灌が風水害、厄病、歌謡の守護神として素盞雄尊を勧請し、6月の天王祭は始る。
東海道品川宿の鎮守である。長い距離を歩いた後は社殿までの長い石段を上る。
下り道は脇にある溶岩で作られた富士山に登ると富士信仰に訪れた先人達と心が通じ合うこと請け合いです。

ビルが立ち並ぶ大都会の中に江戸の歴史・情緒が多く残されている地を歩けた。
また、東京の新旧2大タワー(東京スカイツリーと東京タワー)をコース上で間近くに見ることができた満足のウォークでした。
東京十社を定め、後世に残してくださった明治天皇に感謝。

(番外)
柴又帝釈天 題経寺  葛飾区柴又7-10-3 最寄駅 京成金町線 柴又駅
   
 亀戸天神社で寅さんを思い出し、東京に移住してからまだ柴又にご挨拶に行っていなかったことに気づき、さっそく新年のお参りと同じ都民になった報告に出かけました。寅さんは商売に出かけて不在でしたが、寅さんも食べたという柴又ラーメンと名物の草団子を味わってきました。 帝釈天の参道を歩いていると向こうから寅さんが旅から帰って歩いてくるような思いでした。
                  

平野 寅次郎 拝