紀行

マレー半島縦断列車の旅(9)

 2013年3月2日 池内淑皓
[ シンガポールへ移動 ]
11月29日14日目 マレー鉄道タンピン駅11:14発のシンガポール ウッドランズ行の国際列車に乗りたいので早めに宿を出る。タクシーは前日に予約しておいたので、宿の前から楽にマラッカの町を離れる事が出来た、駅まで小一時間程で行けるが、タクシーがボロなので走行途中の故障を考えて8時に出発する、幸いトラブルもなくタンピンの駅に到着した。
 ウッドランズ行き一等車の切符は駅窓口で難なく購入出来た、一般的にはマラッカからシンガポールへ行くにはバスの方が便利だから、列車に乗る人も少なく車内は空席が多い。
 待合室でぼんやり列車を待っていると、マイクロバスに乗った日本人旅行客がやって来た、まさか日本の団体客がここからシンガポールを目指すとは驚きだった、彼らも私を見つけてびっくりしている、まさかこんな所に白髪の爺さんが、一人ベンチにチョコンと座って居るとは、予想していなかったと口を揃えて言う、私としては、”燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや”の気持ちなのだが。
 団体さんは茨城県の「JAなめかた」(行方)ご一行様であった。組合長以下15人程のメンバーで、クアラルンプールからマラッカに一泊して、シンガポールに数日滞在してから日本に帰るとの事、JA旅行会社添乗員の粋な計らいに敬意を表する。乗車した車両も同じ席で、一等車は日本人の御用達となってしまった、異郷の地で久し振りに日本語が車内に飛び交う楽しさを味わった。
 車窓の風景は相変わらずアブラヤシ林とゴムの木と、所々果樹園の畑が続く、彼らは窓に額を寄せて外を見ている、日本ではお目にかかれない車窓風景だから私も含めて当然であろうと思った。
      
マレーシアの国境ジョホールバルとジョホール水道を隔ててシンガポール共和国の地図
「JAなめかた」理事長以下ご一行様 車内のスナップ   JAなめかた(行方)のみなさん
15:30マレーシアの国境ジョホールバル駅に到着する、マレーシアで下車する人は列車を離れる、引き続きシンガポールまで行く旅行客は車内でそのまま待つ。やがてマレーシアの出入国管理官が列車に乗り込んで来て車中で出国検査をする、男性係官二人と女性係官一人の計3名が審査をしてゆくが、特に荷物の検査はなかった、全ての審査を終えると列車は終点のシンガポールに向けて走り出す。
 ジョホール水道を抜けると5分程でシンガポールに入り、すぐ終着駅のウッドランズに到着した、去年の6月まではシンガポール島の南端にあるシンガポール駅まで線路があったが今は廃止された。
 プラットホームを出ると駅舎が入管のビルとなっていてそのまま入国審査となる、人体のX線検査を受けた後は荷物の検査もなく、出入国カードを提出してパスポートを見せればすぐOKとなった。
ここから路線バスで宿泊予定地のリトルインデアに向かう、バスの運転手さんにリトルインデアで降りますと伝えたらきちんと停車駅で降ろしてくれた。
 MRT東北線のリトルインデア駅から電車で一駅のファーラーパークで下車して徒歩10分、目指すホテルに到着した、日本のビジネスホテルと同等の料金と設備であった、この場所を選んだ理由は料金の割にはどこに出るにも便利であるからだ。

 
車窓にはアブラヤシ畑が続く ジョホールバル駅にて 出入国管理官による出国審査
シンガポール ウッドランズ駅プラットホーム 国境のジョホール水道とシンガポールへ送る水道管
シンガポールはマレーシアから水を買っている、人口増のために飲料水が不足している、現在水道料金改定を巡って係争中 
[ シンガポール共和国の紹介 ]
 東京都とほぼ同じ大きさのシンガポールは、GDP一人当たり49,270ドルで世界上位に位置し、繁栄の頂点に君臨している国だ、国際競争力が高く富裕世帯の割合が世界一だと云う、また世界で4番目に外国人が多く訪れる都市でもある、熱帯地方ではめずらしい経済力のある国となっている、そして東南アジアでは最大級の工業国なのだ。このように惜しみない賛辞が与えられているが、実はこの国 「明るい北朝鮮」 と呼ばれている。
順を追って説明しよう。
 シンガポールは赤道に近い東経103.51度、北緯1.17度で熱帯のど真ん中に位置する、面積712?で東京23区の広さと同じ、人口は518万人となっていて、人口密度は世界第二位である。
政体は大統領を元首とする共和制であるが、87議席中81議席を持つ人民行動党(PAP)は国の主導権を握る一党独裁政権なのだ。 民族は華人系75%、マレー系14%、インド系9%。 宗教は仏教、イスラム、ヒンズー、キリスト教となる。
 14世紀頃インドネシアの影響を強く受けたシンガプーラと呼ばれる小さな王国であったという、「シンガ」とは寄港と云う意味を持ち、シンガプーラは「寄港地」と云う意味である、他方この土地原産のネコの種類名「シンガプーラ」が由来だとも云っている。
 1511年ポルトガルがマラッカを占領すると1613年シンガプーラを攻撃して徹底的に町を破壊してしまう、それ以降シンガプーラは少数の漁民と海賊がいるだけの島となってしまった、1819年イギリス東インド会社の「ラッフルズ卿」は貿易中継港として港を造るために上陸した、今までの呼称を英語読みに「シンガポール」と改め、都市計画を策定し、現在の繁栄の礎を築いた。
 1963年シンガポールはマラヤと合併してマレーシア連邦の一州としてスタートしたが、1965年独立して共和国となった。1959年政権を握った人民行動党(PAP)は現在まで一度も政権交代した事がない、敵対する政党を徹底的に弾圧し、その政党を支持する人達を住まい、税とサービスの面からいじめるのだという。
 2013年1月26日朝日新聞朝刊には「シンガポール国会 野党勢力が最多を更新」との見出しが躍る、PAP選出の国会議長の不倫スキャンダルによる補欠選挙で、野党労働党(WP)が7議席を獲得したと報道していた。
       

続く