紀行

マレー半島縦断列車の旅(11)

 2013年3月8日 池内淑皓
[マーライオン噴水にご対面 ]
プラナカン博物館裏手にあるフォートカニング公園を散策しながら、旧シティーホール、旧最高裁判所、国会議事堂等歴史的な建造物を眺めながらシンガポール川に出る。フォートカニング公園はかつて要塞であったし、第二次世界大戦では旧日本軍の駐屯地でもあった。それらの残滓がわずかに残っている。
  
ラッフルズ上陸記念碑を中心にシンガポール川河口付近地図(地球の歩き方(シンガポール)より)
フォートカニングパークにて 快適な散策路、そして思わぬ所に要塞の跡が、さりげなく展示されている 
ラッフルズ卿上陸記念碑の前で、シンガポールの発展はここから始まった
     
国会議事堂を過ぎるとすぐ「ラッフルズ卿上陸記念碑」が川の畔に建っている。マレー半島を植民地化したイギリスは、1819年に東インド会社にいたラッフルズをここに上陸させ港を築き、小さな漁港を近代的な貿易港に育て上げて、今日の繁栄の礎を築いていった。
海から見たマーライオン像の噴水  1972年当時のリークアンユー首相の提案で建てられた繁栄のシンボル
ラッフルズ上陸記念碑の前にリバークルーズの船着き場があるから、遊覧船に乗って舟遊びを楽しむ。船はシンガポール川を下り、マリーナ・ベイに出てマーライオン像とのご対面となった。このライオン像上半身がライオンで、下半身が魚となっている珍しい姿だ。
 1972年当時の「ルックイースト」で一躍時の人となったリークアンュー首相の提案で作られた。ライオンはサンスクリット語(インドの仏教用語)で「シンガ」と云い、魚は港町を意味すると言う。
マリーナ・ベイ・サンズ (複合商業施設) 船が行き来できないようにカラフルな浮き球がきれい
湾内はきれいでごみ一つ浮いていないのに驚いた。湾奥に見えるマリーナ・ベイ・サンズのユニークな建物が圧巻だ。マリーナ・ベイ・サンズは2010年に建設された55階建ての3棟のホテルの上に、長大な船型の空中庭園が乗る、地上200mのここにはカリーナヤシが茂る遊歩道があり、長さ150mプールもあり、ホテル、レストラン、ショッピングセンター、スケートリンク、ミュージアム、カジノもある今のシンガポールを象徴する新しいエンターテイメント施設となっている。
「お腹が空いた!」リバーサイドにあるボートキーでシーフードの昼食を食べる
     
シンガポール川の両岸には世界各国の料理、そして地元産のシーフードレストランが軒を連ねる、新鮮な魚介類は値段も高いが、洗練されたシェフの腕前は五つ星クラスだ、もちろんバーやパブもある。
戦争記念公園から見た「日本占領時期死難人民記念碑」 基壇におかれた受難国の説明文
   
喧騒を避けるように歩いて15分の所にある「戦争記念公園」に足を延ばしてみた。あれほど多かった旅行者もここにはほとんど足を向けない、影の部分であるから仕方ないがここには静寂が待っていた。
 68mの高さに聳える4本の塔からなる記念碑は「日本占領時期死難人民記念碑」と名付けられ、1942年旧日本軍がシンガポールを占領し、1945年8月まで「昭南島」と呼ばれ、その間数万人の華人達が殺害された。その犠牲者を慰めるためと、二度とこのような事を起こさないために、1967年日本政府の協力のもとに建てられた。
 4本の塔それぞれはマレー人、華人、インド人、ユーラシアンを指し、それぞれが力を合わせて平和を築いて行こうと云う意思を表している。
 基壇に腰かけて、プレートに刻まれた説明を読むと何とも重苦しい気持ちが心に淀む。
 1942年2月陸軍の山下泰文中将は英国軍バージバル中将に対して、シンガポール解放を「イエスかノーか」と迫った言葉は有名である。
 1941年12月8日マレー半島に上陸した日本軍は、この半島1000kmを陸路わずか55日で攻略した。当時ロンドンに亡命中のフランス軍のシャルルドゴール将軍は「シンガポール陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」と日記に記している。日本軍がアジアを解放したのである。
 ペナン島の博物館、マレーシアでの博物館、マラッカでの博物館、それらの博物館全てに旧日本軍の犯した罪が、さりげなくしかもはっきりと展示されていたのが頭をよぎる。絶対に過去を忘れないためにだ。
                        

続く