寄り道さん歩
江戸六地蔵めぐり
平野武宏 |
2012年江戸に移り住んだ寅次郎、朝の散歩で巣鴨の江戸六地蔵に出会いました。 案内板には「これは江戸の街道を守護する目的で造られた」と記載されていました。他の江戸六地蔵にもお会いしたくなり、探して歩き回りました。 |
江戸庶民の心の支えの一つは信仰で江戸市中にはいくつもの神社仏閣が建立され、特に世情が安定してきた江戸中期には巡拝が盛んに行われています。 地蔵信仰やお正月の七福神めぐりもこの頃に始まったそうです。 |
六地蔵巡拝とは人々が善悪の業によって赴く来世(あの世)に対する恐怖が深まるにつれ、地獄から救済してくれる頼もしい存在だったそうです。 六つの迷界(六道=天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)においても六種の地蔵が苦界を救ってくれるという信仰で江戸には2種類の六地蔵巡拝があったそうです。 ひとつは下谷心行寺 2世空無の建立で元禄2年(1689年)に発願し、元禄4年(1691年)に開眼したものですが、旧江戸市内に現存するのは3番日暮里 浄光寺と2番千駄ヶ谷 専念寺(像のみ)だけで、現在は五つの六地蔵が現存する、もうひとつの宝永年間の六地蔵が江戸六地蔵と言われています。 宝永5年(1708年)江戸深川の地蔵坊正元が江戸庶民から寄進を募り、十年かけて造立した地蔵菩薩を江戸の出入り口6つの主要街道に安置しました。 地蔵坊が難病にかかった時に地蔵祈祷によって全快したことから京都の六地蔵にならって病気の平癒や開運を祈願したとされています。寄進者の名前は台座などに刻まれています。 刻銘によれば鋳造したのは神田鍋町の鋳造師 太田駿河守正義。像の高さはいずれも270m前後で、街道筋の境内に露座し、旅人や町民の安全を見守っているやさしい大きな姿が印象的です。 寅次郎の知っていた六地蔵は民話に出てくる笠地蔵のように6体が一緒に並ぶ比較的小さなお地蔵様たちでしたので、大きな姿を見上げ、しばし見とれてしまいました。 お参りする順番は造られた順番とは違っているそうで、巡拝順に並べました。 |
品川寺(ほうせんじ) [品川区南品川3-5-17] 最寄駅 京急本線 青物横丁駅 |
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JR品川駅からスタート、八ツ山橋から旧東海道を歩いて行くと、通称「しながわでら」で旧東海道の南品川に鎮座。 品川寺は弘法大師によって大同年間(806〜810年)に開祖されたと伝わる真言宗の寺院。宝永5年(1708年)建立された第一番(巡拝第一番)の地蔵で唯一笠を頭にのせていないのが特徴です。本来は笠をかぶっていましたが、関東大震災で笠が壊れて取れてしまったとのこと。笠がなく雨のしずくで目から涙を流しているようなお顔は少し気の毒でした。 東海道の尊像として「天下安全、仏法繁栄、衆人快楽」の祈願のもと奉安されました。 昔の面影を復元し、丁寧な案内板が設置してある品川宿の散歩も合わせてお楽しみください。 |
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太宗寺(たいそうじ) [新宿区新宿2-9-2] 最寄駅 東京メトロ丸ノ内線 新宿御苑駅 |
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甲州街道に鎮座。正徳2年(1712年)に建立された第三番(巡拝第二番)の地蔵でかぶっている笠が小さいのが特徴。その像内には小型の銅製地蔵6体時新社名簿などが納められているとのこと。幼少期の夏目漱石がこの地蔵の上で遊んだとの記述も残っています。 太宗寺は浄土真宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。信濃高遠藩 内藤家の厚遇を受け菩提寺となりました。 広い境内には江戸庶民から信仰された「内藤新宿のお閻魔さん」、妓楼から商売神「しょうづかのばあさん」と信仰された「奪衣婆像」(閻魔様に仕え、衣を剥ぎ取り罪の軽重を計る)、新宿山ノ手七福神の「布袋尊像」、イボ取にご利益がある「塩かけ地蔵」など多くの文化財が残っています。 |
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左の写真は閻魔像ですが、外から撮影したので金網が写っています。中の閻魔様の斜め左に奪衣婆像があります。 お参りの後はすぐ近くの新宿御苑への寄道をお奨めします。新宿駅までもすぐです。 |
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真性寺(しんしょうじ) [豊島区巣鴨3-21-21] 最寄駅 JR山手線 巣鴨駅 |
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巣鴨駅からすぐの旧中山道(現在の巣鴨とげぬき地蔵通り)の入り口に鎮座。 正徳4年(1714年)の建立の第四番(巡拝第三番)の地蔵でかぶっている笠が大きいのが特徴です。「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺は明治になり下谷から移転して来たので、江戸時代の巣鴨のお地蔵さんと言えば真性寺のことでした。 でもとげぬき地蔵のおかげで他の六地蔵よりも参拝者が多くお線香が絶えません。真性寺は真言宗の寺院で本尊は薬師如来。昭和20年(1945年)東京大空襲で講堂は全焼、でもご本尊と六地蔵は焼失しませんでした。 |
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東禅寺(とうぜんじ) [台東区東浅草2-12-1] 最寄駅 東浅草二丁目バス停 |
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東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から土手通りを浅草方面へ向かって歩きました。 地方橋交差点で左折、東浅草2丁目-2表示の角を左折した奥にありました。 元は旧奥州街道の入り口にあったそうですが、昭和3年(1928年)都市計画により現在地に移転とのことです。 宝永7年(1710年)に建立された第二番(巡拝第四番)の地蔵で平らな笠と眉間にある金色の白亳が特徴です。 |
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東禅寺は曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来。 寛永3年(1626年)の創建と伝えられ、左隣にはあんパン考案で有名な銀座木村屋総本店創業者の夫婦像(左写真)がありました。寅次郎の母は茨城県川原代村(現竜ヶ崎市)の木村一族の出身です。 浅草周辺は東京スカイツリーが随所で見られ、見所いっぱいの散歩コースです。 |
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霊厳寺(れいがんじ) [江東区白河1-3-32] 最寄駅 東京メトロ清澄公園駅 |
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水戸街道沿に鎮座。享保2年(1717年)に建立された第五番の地蔵で、斜めにかぶった中型の笠が特徴。他の地蔵より手の指が長く、左手の指は4本くっついていました。欠けて穴の開いた台座からはいくつもの災禍を乗り越えてきた歴史を感じました。 霊厳寺は家康・秀忠・家光に信頼のあった雄誉霊願上人が享保元年(1624年)霊厳島(中央区新川)の地を埋め立てて創建。明暦の大火で類焼し現在地に移転してきたとのこと。 境内には寛政の改革を推進した松平定信の墓がありました。また親友のご母堂のお墓もあると聞きお参りしてきました。 門前仲町駅から歩きましたが、深川周辺は松尾芭蕉の史跡や相撲部屋[大嶽部屋(大鵬道場)・北の湖部屋など]もある散歩コースです。 |
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近くの清澄庭園(左写真)にも寄り道をお奨めします。写真の白鷺は本物です。 |
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永代寺跡(えいだいじあと) [江東区富岡1-15-1] 最寄駅 東京メトロ門前仲町駅 |
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享保5年(1720年)に建立された千葉街道に鎮座の第六番の地蔵とされますが、現存はしていません。 永代寺は富岡八幡宮の別院として現在の深川公園一帯を寺領としていましたが、明治維新の廃仏廃釈で廃寺となり、地蔵尊も川口の鋳物工場に払い下げされたそうです。 江戸時代には門前はにぎわい、地名の門前仲町は永代寺の門前に由来とのこと。 永代寺の跡地に明治11年(1878年)深川不動尊が移転。その後、明治9年(1896年)旧永代寺の塔頭の吉祥院が名を引き継ぎ、現在の永代寺を再興しています。 |
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深川不動尊隣の「江戸最大の八幡様」の富岡八幡宮には、歩いて日本地図を作製した「歩けの大先輩の伊能忠敬像」(左写真)や江戸勧進相撲発祥の地とし横綱の碑や大関の碑があります。 |
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[番外] 浄名院 [台東区上野桜木2-6-4] 最寄駅 JR鶯谷駅 |
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上野桜木を散歩していたら、江戸六番地蔵尊に出会いました。 調べると明治期に建立された六番地蔵の代仏だそうです。 小ぶりで笠をかぶらず、他の江戸六地蔵とは異なったお姿でした。 浄名院は「へちま地蔵」で有名なお寺だそうで、へちま水は咳封じやぜんそくに効能があるとのことです。 |
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平野 寅次郎 拝