丸岡~福井~武生~敦賀の巻 | |||||
近藤 源司 | |||||
2003年(平成15年)にスタートした頭記ウォークもいよいよ今年が最終年、第31回を迎え今回は北陸丸岡から福井~鯖江~武生~敦賀までであった。10年前スタート時に千数百人だった参加者も時の流れのなかで五百人位になってしまった、とは申せ10年もの長きにわたって一緒に歩いた仲間はまるで家族のよう。互いに健康で再会を喜び合う姿をあちこちで見受けられた。今回のウォークを時系列に列挙しても記録にしか過ぎないと思うので三日間歩いて強く印象に残った二か所とその思いだけを記したい。
戦国時代にしてはめずらしく恋愛結婚をした細川忠興とお玉は幸せな生活を送っていた。ある日女好きな秀吉の命令で出陣することになった忠興は、ひとり残すお玉が心配で仕方がない。好色な秀吉からお玉を守るべく侍女ひとりをつけて、丹後半島の先の味土路という辺鄙な村へ隠した。 隠されたお玉は一人さびしく過ごすが、都からは夫忠興の浮気などよからぬ噂ばかりが聞こえ、三度の食事さえ喉を通らない。生きてゆく気力さえなくしたある日、懐かしい夫から一首の短歌が届いた。そこには墨跡あざやかに「な嘆げきそ枯れしと見ゆる草も芽も再び萌ゆる春に会わんや」とあり、聡明なお玉はその一首に離れていても、夫の万感の思い愛情を知り生き返ったという。たった31文字が人の命さえ左右する言葉の重さを感じた。そのあたりから私は、短歌や俳句に興味を持ったのかもしれない。
この日三日目は夜来の雨が、朝まで残りスタート時も小雨が降っていた。しかし歩きだす途中から雨が上がり、あちこちで雨具を脱ぐ会員を見かけた。 大した峠ではないが本部の隊長スタッフの皆さんが、「個々の体調を考慮して無理して登らず迂回して待つように」と指示していた。私はせっかくだからと迷わず登る組に入り、芭蕉や歌人に倣って俳句や短歌を作りながら峠を越えた。その時詠んだ一首をご披露し拙文の筆を措くことにしよう。 湯尾峠登る悪路に薄日差しひときわ映ゆる谷の新緑 |
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