寄り道さん歩
東京発祥之地めぐり〜産業・商業編〜1−1
平野武宏 |
初めて読まれる方はなぜ「寅さん歩」と疑問に思われますので説明します。 映画「男はつらいよ」で全国各地のお祭りで商売していた寅さんの様に全国のウォーキング大会を歩いていたら、妻の友人から「平野 寅次郎」と命名され、ペンネームとしました。またTV放映の地井さんの「ちい散歩」や若大将の「ゆうゆう散歩」を真似て、東京に移住以降は「寅さん歩」と名付けた散歩シリーズを書き始めました。残念ながら「寅さん歩」にはTVカメラやスタッフはついて来ませんが・・ |
歩いていると「○○発祥之地」の案内板に出会うことがあります。 発祥之地は西洋文化が最初に上陸した横浜や長崎が本家かと思っていましたが、東京にも多くあることを知りました。散歩中に出会った案内板を中心に産業・商業編をまとめてみました。最寄駅は交通機関利用での代表例の駅です。 |
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七福神福めぐりで今戸神社を訪れ、福を呼ぶ「招き猫の発祥之地」と知りました。縁起物なので発祥之地を名乗る場所は多くあるそうですが、有力 な二か所を訪ねました。 | ||||
今戸神社 台東区今戸1-5-22 最寄駅 東京メトロ銀座線 浅草駅 | ||||
浅草駅から言問橋方面へ向かい、待乳山聖天の先にあります。創建は康平6年(942年)前九年の役で奥州の安倍氏を討伐した源頼義・義家親子が京都の石清水八幡を勧請。 隅田川の良質の粘土の焼き物、今戸焼で有名なこの地にいた猫好きな老婆が貧しさから愛猫を泣く泣く手放したら夢枕に別れた猫が立ち「自分の姿を今戸焼で作り、背中に丸(まるじめ)の印をつけて売りニャさい」と言ったとか。老婆は夢に従い、猫の焼き物を並べると飛ぶように売れたという。「丸〆猫」と呼ばれ、招き猫の原型とされているとのことです。 商売繁盛の他、縁結びのご利益もあると言われ、社殿(写真上)には二体の招き猫。社殿下左にも二体の石の招き猫(写真左下)があり、撫でたり・携帯の待ち受け画面にして毎日拝むとご利益があると女子高校生がさかんに携帯で写真を撮っていました。つられて寅次郎もパシャリ。 沢山に吊るされた願い事の絵馬も縁と言うことで円い形でした。 |
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この神社に借り住まいしていた医師 松本良順の家で療養していた新撰組 沖田総司之終焉の地や今戸焼発祥之地の碑(写真右上)との案内もありました。縁結びのパワースポットとして女性でにぎわう神社です。 帰りには浅草界隈の散歩をお楽しみください。 |
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豪徳寺 世田谷区豪徳寺2-24 最寄駅 東急世田谷線 宮の坂駅 |
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彦根藩2代目藩主 井伊直孝が江戸で鷹狩りに出かけた際、弘徳寺という貧乏寺の近くを通ったら門前にいた猫が前脚で招き入れる仕草をしているのを見て、寺に立寄ったら、すぐに雷鳴・豪雨となったそうです。 難を逃れた井伊直孝は田畑を寄進し寺と縁を深めました。直孝の死後、戒名をとって豪徳寺と名を改め、井伊家の菩提寺になりました。縁起となった猫を「招福猫児」(まねぎねこ)として祀るようになったとのことです。 猫は住職の飼い猫で、「たまには恩返しをしてくれないか」と猫に話しかけていたとの説もあります。 また招猫観音を出て右手には井伊家の立派な墓所があります。 桜田門で暗殺された井伊直弼のお墓は一番奥にありました。 |
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世田谷線沿線には井伊直弼による安政の大獄に連座して処刑された吉田松陰を祀る「松陰神社」(写真下左)、世田谷ボロ市通りにある「代官屋敷」(写真下右)など多くの史跡があり楽しめます。(吉田松陰の別名は寅次郎と知りました) |
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(産業・商業編1−2へ続く) 平野 寅次郎 拝