寄り道さん歩

 寅さん歩 その8−1

東京発祥之地めぐり〜産業・商業編〜1−2

平野武宏


ソメイヨシノ発祥之里
染井吉野桜記念公園  豊島区駒込2-2-1  最寄駅 JR山手線 駒込駅


 東京の桜めぐりをしていたら身近な所に発祥之里がありました。
JR山手線駒込駅北口を出て右側にある交番の後が染井吉野桜記念公園(写真右)で公園の隅に発祥之里の碑があります(写真左)ソメイヨシノは今や桜の代表格です。江戸時代の染井村(現在の豊島区駒込・巣鴨周辺)には植木職人が多く住み、武家屋敷の広大な庭を手入れしていました。
植木職人により優れた桜を売り出そうと、しのぎを削り生みだされたのが、エドヒガンザクラとオオシマザクラの交配種 ソメイヨシノです。
(名前は吉野桜だと紛らわしいので染井の地名を付けたとのこと)また、染井村ではつつじや菊づくりも行われた植木の一大生産地でした。

駒込駅北口から左手に進むと、国の名勝六義園(写真下左)があります。
和歌の浦を模した大名庭園(柳沢吉保下屋敷)で明治に入り三菱の創始者 岩崎弥太郎の手に渡り、昭和13年東京市へ寄贈され、都立公園となりました。園内では春にはしだれ桜(写真下右)秋には紅葉が楽しめます。

                      

国産マッチ発祥之地
 
墨田区江東橋1-7-14 最寄駅 JR総武線 錦糸町駅

 錦糸町駅南口から京葉道路を両国方面に歩くと左側の都立両国高校敷地内に碑があり、外から見ることが出来ました。碑には当時のマッチ箱のラベルが刻まれています。
同高校はOBに芥川龍之介がいる府立三中が前身の中高一貫の名門校す。

今や100円ライターの出現で影が薄くなったマッチですが、明治・大正期には輸出品の花形だったそうです。
 国産マッチの本格的な生産は旧金沢藩士 清水誠(専門は造船学)がフランス留学時にマッチと出会い、帰国後、大久保利通の援助を受け、明治9年(1876年)会社を設立。安全で高品質の黄燐マッチをめざし、その製造方法を公開しました。当時、東京府は失業士族の救済策として奨励し、全国各地にマッチ工場が出来、一時はスエーデン、アメリカに並ぶ三大マッチ生産国になりました。
(なお、日本にマッチが紹介されたのは天保8年(1837年)で、その後、試作・製作されたとの記録がありますが、本格的な生産には至らなかったとのことです)
 両国界隈には吉良邸跡、回向院、旧安田庭園、東京都慰霊堂など沢山の寄り道スポットがあります。

洋紙発祥之地
北区王子1-4-1 最寄駅 JR京浜東北線 王子駅、都電荒川線 王子駅前

         
 お花見に出かけて、飛鳥山公園下にある都電荒川線の王子駅前裏にある王子サンスクエア脇のパン屋さん左側に碑(写真右)を見つけました。
写真左は碑の内容を拡大したものです。
碑によると明治6年(1873年)ヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一抄紙会社を設立し、王子に製紙工場を作ったのが始まりとのこと。田園の中に煙を吐く工場は当時の錦絵にも書かれ東京の新名所になったそうです。その後、日本の製紙業で大きな役割をはたしましたが、昭和20年(1945年)の戦災でその幕を閉じた。この碑は昭和28年、日本製紙株式会社創立80周年記念に跡地に建てられました。


王子の飛鳥山は将軍の菩提寺寛永寺があり規制が厳しかった上野に代わる江戸庶民のお花見場所として8代将軍吉宗が桜を千本植えました。
下から2分で飛鳥山公園に到着の「アスカルゴ」(飛鳥山とエスカルゴをかけた無料のモノレール)があります。
園内には多くの史跡や日本の近代化に大いに貢献した渋沢栄一史料館、紙の博物館、飛鳥山博物館があり、お花見の他にも大いに楽しめます。
また、王子は狐(お稲荷さん)で有名な地でもあります。大晦日の夜には関八州の稲荷社のお使いの数百匹の狐が王子装束稲荷に集まり、装束を改めて王子稲荷神社に初詣したそうで、この儀式は現在も復活して行われています。

アスカルゴ
飛鳥山の難解で読めないと有名な碑
渋沢栄一別邸 晩香廬(ばんこうろ)     
渋沢栄一青淵文庫(せいえんぶんこ)
魚市場発祥之地
央区日本橋室町1丁目  最寄駅 東京メトロ銀座線 三越前駅

 日本橋北詰東側に碑があり江戸〜大正までこの一帯は東京湾でとれる魚の市場でした。関東大震災により築地への移転を余儀なくされました。向かい側には国と東京市の道路元標があります。
日本橋もゆっくりと見ることが必要ですね。

 (産業・商業編2へ続く) 平野 寅次郎 拝