紀行

越前を歩く(2)

永平寺を訪ねる


 池内 淑皓
早朝福井城祉でゆっくりした後、福井駅7:04発のえちぜん鉄道勝山永平寺線に乗車して、永平寺口で下車する、電車に接続して永平寺行のバスが待っているから、終点の永平寺まで乗車する、15分程の距離だ、終点までバスに乗った人は3人、あとは地元の小学校の生徒だけであった。
 終点から参道を緩やかに登ってゆく、朝が早いからおみやげ店は全部閉っている、永平寺正門横の通用門から拝観料500円を支払い寺院内に入る、時間はたっぷりあるので七堂伽藍の一つひとつをゆっくり見学出来る、仏殿では眠くなったので敷居を枕にうたた寝もした、朝が早いから見学者は殆どいないのだ。

 永平寺は鎌倉時代の寛元二年(1244)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である、三方を山に囲まれた地に大小70余の甍が重なりあっている。
 道元禅師は正治二年(1200)京都に生まれた、14歳の時比叡山延暦寺で出家して、24歳で中国に渡り修行する。座禅と云う仏の教えを会得して日本へ帰ると、初めは京都に道場を設けたが、寛元元年(1243)越前に移り永平寺を創建した。
曹洞宗の大本山として横浜鶴見の総持寺と共に、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源となっている。
          

         
[えちぜん鉄道勝山永平寺線] 昔は永平寺まで電車が通じていたが廃線となり、バスが通う。           ワンマンの一両編成、永平寺口駅まで440円
永平寺入口にて
 同
[永平寺全景図]

           
 [傘松閣 ]  平成6年の改築で参拝者の研修、宿泊の間156畳敷き。 格子天井には昭和5年、当時の名工達により230枚の花鳥画がはめ込まれている。
[鐘楼堂]  NHK ゆく年、くる年の除夜の鐘で有名、昭和38年の改築。
朝、昼、夕方、夜の一日に4回修行僧によって撞かれる(山門内から望む)
      
[唐門] 皇室からの使者が上山する際に開かれる、気品ある門 
[山門から回廊と中雀門 ]  山門を入り、中雀門を潜り、仏殿(奥)に入る、さらにその奥に法堂があるが私たち一般参拝者はここを通ることが出来ない。
 [仏殿 ]  七堂伽藍の中心に位置し、永平寺のご本尊釈迦牟尼仏、阿弥陀如来、弥勒菩薩が祀られている(現世、過去、未来の三世如来)、外観は二層であるが内部は読経が響くように天井が高い。 七堂伽藍とは 山門、仏殿、僧堂、庫院(くいん)、法堂、東司(べんじょ)、浴室を指す。
 [法堂] 七堂伽藍の最奥に位置し一般寺院の本堂にあたる、住職が雲水達に説法をしたり、各種の法要が営まれる場所だ。
[庫院] 食事を作る台所、 また賓客を接待する場所でもある
[ 回廊 ]  各堂は回廊によって廻らされており、修行僧たちは毎朝必ず雑巾がけをする、これを作務と云う。

 11時30分に永平寺から福井駅に行く快速バスがあるので乗車した、乗客は3人で一人は地元のおばさん、もう一人は静岡県の富士市にあるお寺の奥さんで、ここで修行している息子を見舞っての帰りだという。
福井駅に着くまでお話をした、お寺も檀家が少なくなっており厳しいという、永平寺も毎年参拝客が減ってきて、バスの便も悪くなってきているという、世界の中で日本人ほど信心の薄い国民は珍しい。

 永平寺を回り、ここから一乗谷の朝倉氏の館址へ行くには、距離的には近いのだが、平日の観光バスは無く、タクシー(4500円)か一旦福井に戻ってJR越美北線か福井からバスで行くしかない、タクシーは高いから一旦福井駅に戻って、午後朝倉氏歴史の道を散策することにした。
   
                                               この項完