寄り道さん歩

 寅さん歩 その8−3-1

東京発祥之地めぐり 〜スポーツ編-1〜

平野武宏


柔道発祥之地 
台東区東上野5-1-2 最寄駅 東京メトロ銀座線 稲荷町駅

上野駅パンダ口から浅草方面に向かい歩き、稲荷町の交差点脇にある永昌寺(写真左)境内に発祥之地の碑(写真左下)があります。

講道館柔道の創始者嘉納 治五郎は明治15年(1882年)当時23歳、学習院で英語教師をつとめていました。

永昌寺の書院を借りて「講道館」と言う道場を開いたのが始まりとのことです。広さはわずか12畳、入門者は9人でした。
嘉納治五郎は日本の古くあった柔術の優れた所を集め、危険な所を除く、新しい「柔道」を大成しました。


 今では文京区春日の講道館が日本・世界の柔道の総本山となっています。
最近、古い運営体質で問題続出の日本柔道指導者たちは嘉納治五郎時代の 初心を取り戻して立ち直って欲しいものです。
お帰りは上野に戻り、上野公園の散策または浅草通りを直進し、かっぱ橋道具街や浅草寺界隈をお楽しみください。

相撲興行発祥之地
 
江東区富岡1-20-3最寄駅 東京メトロ東西線 門前仲町駅

勧進相撲は寺社や橋の改修・建て替えの寄付を集める目的で始まり、発祥之地は江戸ではありませんが、貞享元年(1684年)幕府がルールをつくり現行に近い相撲興行を初めて行ったのが江戸最大の八幡様と称される富岡八幡宮(写真下左)とされています。拝殿の右脇を入ると横綱力士の碑(写真下右)があります。この他に大関の碑など相撲関係の石碑があります。
  
 
相撲の歴史は古事記によると 建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が力比べを行い、建御雷神が勝ったと記述しているのが起源だそうです。
日本書紀にも垂仁天皇の前での野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が争い、野見宿禰が相手の助骨を折り、腰骨を砕いて勝ったとの記述があるそうです。古代の荒々しい相撲はその後、農作物の豊作を祈願した神事としての側面を持ち、戦国時代には武術の鍛錬とさました。
江戸興行は天保4年(1833年)以降は本所の回向院が定場所となり、明治42年(1909年)回向院境内に旧両国国技館(昭和58年解体)が建設されています。

富岡八幡宮の後の小学校脇を行き、道路に出て右折すると、奥に朱色の鉄橋(写真下)が見えてきます。
明治11年(1878年)京橋の堀川に弾正橋として国産鉄を使用したアーチ型の日本初の鉄橋です。関東大震災後の帝都復興計画で廃橋になり、ここに移され、名も富岡八幡宮にちなみ八幡橋となりました。菊のご紋入りの橋です。

 お帰りは清澄通りを清澄白河駅方面に歩くと下町情緒が残る深川散歩が楽しめます。

駅伝競走発祥之地  
台東区上野公園・池之端3丁目 最寄駅 JR上野駅

上野公園不忍池の中央に弁財天を祀る弁天島があり、そこに渡る入口左側に「東海道五十三次徒歩競走」 (読売新聞社主催)石碑があります。
右の写真は碑の拡大です。
大正6年(1917年)4月27日首都が京都から東京に移って50年目を記念して、京都三条大橋からこの碑がある東京上野不忍池の大正博覧会の正面玄関まで全長508キロを23区間に分け、関東勢(東京)・関西勢(名古屋・大阪)の2チームで行われ、丸3日かけてゴールの上野まで走りました。
大阪は単独でチーム編成が出来なかったとのこと。ちなみに箱根駅伝は3年後の大正9年(1920年)に誕生とのことです。
弁天様にお参りの後は右手方向に行き、下町風俗史料館やアメ横をお楽しみください。

近代ボーリング発祥之地
    
港区北青山2-8-44  最寄駅 東京メトロ銀座線 外苑前駅

秩父宮ラクビー場と神宮球場の間のTEPIAプラザの駐車場入口角に洒落た発祥之地の碑がありました。
ボーリングは古代エジプトで生まれ、中世のヨーロッパで大流行し、17世紀にアメリカにわたり、テンピンボーリングが登場したとのことです。
日本では文久元年(1861年)長崎県出島の外国人居留地にオランダ人によって作られたのが日本最初のボーリング場とのことです。
民間ボーリング場としては昭和27年(1952年)明治神宮外苑「東京ボーリングセンター」が開場。公務員の初任給が7,650円の時代に会員制で入会金は法人5万円・個人3万円、1ゲーム120円のセレブの社交場でした。大衆には広まらず約1年後に破綻したとのこと。
昭和35年会員制を廃止して営業再開しましたが、その後、吉祥寺に移転しています。
自動式のピンセッターが輸入された後、昭和40年代には大ブームとなり、人気女子プロボーラーも活躍しました。
すいている早朝ボールに通った若き日を思い出した寅次郎でした。

近くの聖徳記念絵画館(略称は絵画館で明治維新を中心とした歴史的光景を描いた壁画が展示)の見学や絵画館前の明治神宮外苑いちょう並木(秋には鮮やかな黄色に染まる)の散策をお奨めします。

歩け歩け運動発祥之地
   
新宿区霞が丘町 最寄駅 JR総武線 信濃町駅

左奥の建物が絵画館

自称「職業:ウォーカー」寅次郎の身近な発祥之地がありました。
信濃町駅前の歩道橋を上がり、右側に降りると、お店の間に神宮外苑通路があります。石碑は絵画館前の道路脇の低い位置にあるので見逃さないように。
昭和38年(1963年)早大学生の大西 七郎氏がサンフランシスコからニューヨークまでアメリカ大陸を歩いて横断。
帰国後、大学生に呼びかけ「歩け歩けの会」が誕生しました。
東京オリンピック開催中の昭和39年(1964年)10月17日にこの地から世田谷の東京五輪記念世界青少年キャンプに向けて第1回歩け歩け大会を開催しました。「日本歩け歩け協会」(後に日本ウオーキング協会に改称)での組織的な日本の歩け歩け活動の始まりです。

[スポーツ編−2へ続く] 平野 寅次郎 拝