寄り道さん歩
東京発祥之地めぐり 〜スポーツ編-2〜
平野武宏 |
野球発祥之地 千代田区神田錦町3-28 最寄駅 東京メトロ 半蔵門線 神保町駅 |
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神保町駅A9出口から外に上がると、左手に発祥之地の碑がありました。後ろの建物は学士会館で、ここが日本野球発祥の地とのこと。 握られたボールには世界地図が描かれていました。 明治5年(1872年)当時神田の一ツ橋にあった東京大学の前身、開成学園のアメリカ人講師のホーレス・ウィルソン氏が生徒達にここで野球を教えたのが始まりとされています。 但し、初めて試合が行われた明治6年(1873年)が始まりとする説もあります。その後、野球人気が盛り上がるのは明治36年(1903年)11月21日の第1回早慶戦(東京六大学野球の前身)からで、プロ野球の誕生は大正に入ってからだそうです。ウイルソン氏は日本野球殿堂入りをしています。 |
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帰りには靖国通りを歩き、靖国神社(写真左)に行き、戦争に命を捧げた方々の御霊に参拝しました。特攻隊若者の新妻への遺書には心打たれました。 寅次郎ならば、いつ参拝しても話題にはなりませんよね。 |
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ナイター試合発祥之地 新宿区西早稲田1-20-14 最寄駅 都電荒川線 早稲田駅 |
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日本野球において最初に国民から大きな支持を得たのは「学生野球」です。学生野球を創成期から引っ張ってきたのが早稲田大学で戸塚球場(後に安部球場と改称)に初めて夜間照明を設置し、試合を行ったのが日本でのナイトゲーム発祥だそうです。 戸塚球場は明治35年(1902年)に作られ、昭和8年(1933年)早稲田大学創立50周年の記念事業として夜間照明設備が取り付けられ、同年7月10日早稲田大学の2軍対新人戦でプレーボール。試合は放送もされ、スタンドは満員の観衆で埋まったそうです。 早稲田駅からグランド坂を上がって行く球場跡地は早稲田大学総合学術情報センターとなり、入口の一角のスペースに経緯が書かれた発祥之地の碑(写真下)がありました。 |
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発祥之碑の左側には早稲田大学野球部を指導された初代部長安部 磯雄氏(写真右)と初代監督 飛田 穂洲氏(写真左)の胸像があります。二人とも日本の野球の父と呼ばれています。 戸塚球場は安部氏が亡くなった後、安部球場と改称されました。その後、早稲田大学の球場は東伏見に移転しています。 写真で一番左の細長い石柱は早慶戦百周年記念碑です。ちなみにプロ野球初のナイトゲームは昭和23年(1948年)横浜ゲーリック球場で行われた巨人対中日戦とのことです。 お帰りは早稲田大学構内(写真下左は大隈重信像)や神田川周辺(写真下右は神田川桜並木と椿山荘)の散策をお奨めします。 |
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プロ野球伝統の一戦発祥之地 江東区新砂1-2-8 最寄駅 東京メトロ東西線 東陽町駅 |
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こんな発祥之地もありました。プロ野球は昭和9年(1934年)ベーブルースが来日した日米野球から盛り上り、昭和11年(1936年)から7球団により本格的な公式戦が始まりましたが、当時東京には関西の甲子園球場に匹敵する大きな球場はありませんでした。 そこで城東区(今の江東区)に洲崎球場が作られました。そのこけら落としに行われたのが読売巨人軍(今の巨人)対大阪タイガース(今の阪神)のリーグ戦決勝戦(今の日本シリーズのようなもの)でした。 3回戦方式で熱戦が繰り広げられエース沢村がいる読売巨人軍が優勝。このカードは以降「伝統の一戦」と呼ばれるようになりました。それゆえこの地がプロ野球伝統の一戦発祥之地とされています。 東陽町駅3番出口から、永代通りを行き、江東区運転免許試験場入口の信号を右折、右手のオルガノ本社前に「洲崎球場跡の碑」がありました。海抜の低い土地環境だったため、わずか3年間で解体されたそうです。 |
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碑の後ろはオルガノ本社ビル | |
お帰りは地下鉄で門前仲町駅又は両国駅の途中下車散歩をお楽しみください。 次は「発祥之地 グルメ編」です。味の確認に時間がかかりますので、しばらくお待ちください。 |
平野 寅次郎 拝