紀行文

寅次郎ウオークの旅
― その後の足跡 13 ―

海外篇(イタリア 1-1)
平野  武宏
 オールジャパン ウオーキングカップで全国47都道府県のウオーキング大会を歩き、妻の友人から「平野寅次郎」と命名されました。「寅次郎ウオークの旅」の本をまとめたのをひと区切りとして、スタンプを求めて、遠くに出かけるウオークの旅を卒業し、近くでの「寅さん歩」にはまっていました。
但し、2007年エストニアで体験した2年に1度開催の「IVVオリンピアード」の魅力には勝てず、「第13回 IVVオリンピアード イタリア大会」に参加しました。
2009年の日本大会、2011年のトルコ大会に続いて、連続4回の参加です。
2013年の舞台はイタリア北部 南チロルのドロミテ地方です。
国際市民スポーツ連盟主催でウオーキング・サイクリング・スイミングが国際市民スポーツとして大会種目になっています。今大会はマラソンの種目もあり、4日間いずれの種目を選んでもよく、世界各国から参加者が集い、市民スポーツを楽しみます。寅次郎は独自に観光(サイトシーイング)も種目に追加しました。
海外に不慣れな寅次郎の視点・関心事でまとめてあります。ご容赦をいただき、お暇の折にご笑覧いただければ幸いです。

6月24日(月) 成田〜ヘルシンキ〜ミラノ
2年ぶりの海外旅行、不安と期待で成田国際空港へ向かう。
昨年、豊島区大塚に住いを移した寅次郎の家からは日暮里駅経由京成スカイライナーで約50分の近さでした。
 日通旅行社が募集した日本代表チーム参加者は59人。うち39人は大会後イタリア観光コース組。スカンジナビア航空で11時17分成田を離陸。
ロシア上空からヘルシンキで乗換え現地時間18時9分ミラノへ到着。
(左の写真は上空から見た北極海の氷山)まだ日は高く21時頃までは明るい。夏時間で日本とは7時間の時差。長〜い6月24日でした。
6月25日(火) ミラノ〜ボルツァーノ〜セルバ・ガーディナ会場
         〜ボルツァーノ

空港近くのホテルから専用バスでミラノ観光へ。イタリアオペラの殿堂 スカラ座、ガラスドームが美しい19世紀に建てられたアーケード ガレリア(写真下左)、市の中心に建つイタリア最大のゴシッック建築 ドゥオモ(写真下右)を駆け足で見物する。日差しが出てきたが湿気が少なく、からっとして気持ちが良い。
 
大会中のホテルとなるボルツアーノへ向かう。車外の風景は木々が張り付いた岩谷、その下は一面のブドー畑(写真下左)よく見ると育成状況が異なるブドーの苗木が並んでいる。



前方に雪が残る山が見えてくるとホテルに到着。約6時間の長〜いバスの旅でした。(写真上右の右側の建物がホテル)ホテルの前の歩道は3車線あり。二つは自転車用。人より優遇されている。
ホテルでの遅いランチ、早速パスタ・肉・甘いデザートのフルコースが始まった。ひと休みして開会式が行われる大会主会場のセルバ・ガーディナへ。大会は三会場で行われる。
また約1時間山道のバスの旅。岩山がそびえ立ち北海道の層雲閣を思い出す光景。立派なもみあげのドライバー(写真右。すぐに仲良くなり名前はTICA氏)の狭いカーブでのすれちがいの見事なハンドルさばきに感心した。
到着し、大会登録。17時に各国チームはパレード会場に集結。我々日本代表チームも日の丸を先頭におそろいの帽子で開会式会場までパレード。
6月26日(水) ボルツァーノ〜セントクリスティーナ会場 
         
サイクリング24km ウオーキング(5・11・18・24kmあり)
          〜Ciampinoi〜ボルツァーノ
三会場での種目を選択することが出来るが、我々一行はホテルからバスで移動なので同じ会場で選択。ウオーキングはコースにより、高低差が大きいので、高低差222mの11kmコースを選ぶ。美しい山並みを見ながら、アップダウンに息を弾ませながら歩くと、チェックポイント(写真下右)での暖かい歓迎、コース上では癒しの光景がある。


 山を下りてスタート地点に戻り、またひと山を上り・下る。ゴールは開会式のあった主会場のセルバ・ガ−ディナだった。万歩計は15kmを示している。
ゴールの休憩テントでコーヒーを注文、「ビッグorスモール」と聞かれ、ビールのビッグを思い浮かべ、スモールと言うとなんと試飲サンプルに使うような小さな紙カップに入って、味は苦かった。(苦いので小さいのか?)
 オリンピアードの楽しみのひとつは1種目が終わった後の、時間の使い方。
他の種目を選択してもよい。寅次郎種目の観光を選択。コース途中で見た、近くにあるゴンドラに乗り、10分でCiampinoiへ。 頂上は2,254m 、気温は7°C 。素晴らしい山々の光景だ。
イタリアは各民族が入り混じっているそうで、特に北部では会話もイタリア語、フランス語、ドイツ語をよく聞く。大会の資料の町の名前も3言語で書かれていた。ホテルのTVは6か国語(前述の他英語、ロシア語、JPN)、55チャンネルあり。JPNの言語を選ぶと、なんと中国の番組で中国語。イタリアの日本認識はこんなものなのか・・・
―イタリア 1−2へ続くー          平野 寅次郎 拝