日韓友情

21世紀の朝鮮通信使ウオーク

卓 明淑
卓明淑さんのFWA入会はこの春である。辻堂公民館で地域の人たちが歩かれるのをFWAがサポートしたが、その時に参加されたのがきっかけで入会された。その後、FWAやKWAの例会によく参加されている。このほど「21世紀の朝鮮通信使ウォーク」に参加されたので感想文をお願いした。卓さんは2002年に藤沢市と韓国保寧市が姉妹都市を結んだ時に通訳として参加された。また今春の朴大統領就任式にも招待を受け出席されている。

 朝鮮王朝が江戸時代の日本に派遣した外交使節団の足跡をたどる「第4次21世紀の朝鮮通信使 日韓友情ウォーク」。
2013年4月1日ソウルを出発して5月20日東京着という50日間、総距離2,000kmを、歩き約1,200km中、日本632kmのウォークがありました。?韓国体育振興会と日本ウォーキング協会共同主催です。50日間の参加ウォーカーは韓国コース920人、日本コース1,370人で述べ人数2,290人でした。
 
 韓流の始まりは400年余り前の朝鮮通信使。400年目にあたる年を記念して、2007年を第1次とし以降2年に1度開催する事が韓国と日本の民間団体の間で決まり、24年間に12回施行することになったそうです。今回も50日間平均30キロを歩く強行軍で、韓国人10人、在日韓国人3人、日本人24人で平均年齢68歳です。

5月18日は小田原〜藤沢コース37kmです。湘南海岸の遊歩道はあまりに強い風と足元の砂
市役所玄関前で.jpg
藤沢市役所本館前
最前列の右から2人目が卓さん

が飛んで目や口の中にはいり、顔にあたると痛いほどだったそうです。私はFWAの役員の皆様と藤沢市役所で一行を迎える事にしましたが、待ち切れずに東横イン位まで出迎えに行きました。市役所本館の正面玄関には歓迎幕が掲げられました。土曜日にも拘らず、永井洋一生涯学習部長さんはじめ多くの皆様が迎えに出てくれていました。友好的な交歓のなかで、永井洋一部長さんと宣 相圭正使の挨拶があり、その後全員で記念写真を撮りました。
藤沢駅近くを行進





ゴール前日の19日は藤沢〜川崎間の33kmです。私は朝7時20分、ウォーカー達の宿所である東横インホテルまで行きました。
藤沢駅前の広場にはこの日を一緒に歩くウォーカー達も沢山集まりました。
本メンバーの方々が着ているブルーのTシャツを売っていたので、買い求め着替えしましたら私も何となく本メンバーの一員になった様な気持ちになりました(笑)。

出発式ではよこはまウォーキング協会の方のコース説明などがありましたので、即席でその通訳を務めることになりました。私は御一行様と戸塚まで交流をしながら歩くつもりでしたが、在日韓国民団神奈川県本部で、飲み物やお手洗い場所の提供などを用意してあるというので、場所まで案内することになり、私としてはこれまでの最長距離になる横浜鶴屋町まで歩く事になりました。
途中韓国の方や、在住のカナダから参加した韓国人もいて、久しぶりに母国の言葉で会話をしたり、日本でも静岡や北海道から参加の日本の方々とのお話しが本当に楽しく、中にはオッパ(親しみを込めた呼び方で「お兄ちゃん」の意)のニックネームの方もいらして、韓国を歩きで一周した話など、それはそれはとても楽しい交流でしたので長距離の疲れを忘れるくらいでした。
 相鉄線の天王町駅前で昼の食事を取ることになりました。韓国からの方はご飯類が欲しいとの事になって、十数人と一緒にカレー店で食べることになりました。団体が一度に入った為、店の人も大忙し!ビールで喉をうるおす人あり、大盛りを頼む人ありで、同じテーブルの方々と名刺交換、自己紹介をしながら食事を楽しみました。

 5月20日、雨模様の天気でしたが無事に最後の日比谷公園にゴール。民団中央本部主催の最後の打ち上げパーテイーがあったそうです。“本当にお疲れ様でした。”と、申し上げたいです。

 数日後「21世紀の朝鮮通信使 友情ウォークの会」隊員一同 隊長・遠藤靖夫さん 事務局長・中村進さんからの郵便物が届きました。
 皆さんの善意に支えられた第4次でした。差し入れなど有難うございました。という礼状があり、本隊員名簿と参加区間が明記されたもの、そしていくつかの新聞に載せられた切り抜き記事などがありました。礼状の一部をご紹介します。

 「昨今の日韓関係は、歴史認識の問題などでぎくしゃくしています。しかし、私たちが韓国滞在の間、温かく迎えてもらい、今回もいい旅を堪能しました。安東の仮面劇舞踊の基本形を人間国宝の方に習ったひとときや日本人女性が暮らしている慶州ナザレ園の訪問などはとりわけ印象深いものでした。・・・
 いま、朝鮮通信使を世界遺産に登録しよう、という運動を日韓双方の関係団体が推し進めています。日本側の当事者である「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(事務局・対馬市役所)から運動をPRするのぼりを託され、対馬から東京まで掲げて歩きました。日韓双方の沿道自治体がこの運動に総結集し、ソウル〜東京の朝鮮通信使の道が「平和の道」として確立することは私たちの願いであります。

 日本国内のウォークは4年間のブランクがあり、心配しましたが杞憂に終わりました。改めて、私たちの旅が多くの人々に支えられていることを知らされ、同時に継続することの力も知りました。心から感謝を申し上げ、お礼と報告にします。」
 その後、帰国された副正史=金テホさん(元大学教授)から長い文書が添付されたメールを頂きました。
毎日の日記で綴られていました。日本に上陸しゴールまで、日本の皆様の温かい歓迎に感謝していることや日本の景色の美しいこと、毎日の歩く中での支えあいや思いなど、特にメンバーの中で高齢でありながらの日本の女性が皆さんの洗濯をすすんで奉仕しながらの歩きなど、本当に感動の内容でした。
       
永井洋一生涯学習部長から
宣相圭正使に記念品が渡される
市役所本館前に到着
藤沢駅前を出発 途中の標識