紀行
東京発祥之地めぐり 〜学問・文化編ー2〜
平野 武宏 | |||
考古学発祥之地 大森貝塚 大田区山王1丁目・品川区大井6-21 最寄駅 JR京浜東北線 大森駅 |
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大森貝塚は指紋学発祥と関連ある地と知り初めて訪問しました。 大森駅のホームに日本考古学発祥之地の碑(百周年記念で建立)がありました。 碑の上の土器は発掘した実物の2倍だそうです。大森貝塚碑は大田区と品川区に二つあることも初めて知りました。 |
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明治10年(1877年)6月東京帝国大学の教授として来日したアメリカの動物学者 エドワード・モース氏が、横浜から東京に向かう蒸気機関車で大森駅を過ぎた頃、車窓から崖に貝殻が積み重なっているのを見つけたのが発掘のきっかけだったそうです。 モース氏は発掘調査の許可を取り、貝殻とともに貝殻の付いた縄目模様の土器(後に縄文式土器と命名)も見つけました。縄文時代後期から晩期を中心とする集落を伴う遺跡で日本初めての科学的な発掘調査が行われた日本考古学の発祥の地となりました。 |
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遺跡庭園内の案内板 | |||
モース氏は寅次郎の故郷藤沢市とも縁があります。明治10年(1887年)来日の本来の目的であるシャミセンガイ研究の臨海実験所を開設したとして江ノ島大橋先左の北緑地に「日本近代動物学発祥の地」の碑があるそうです。 ご覧のホームページの「四季の道 寄り道コーナー」に「モースの記念碑」の記事がありますので、ご覧下さい。(八柳修之氏投稿) モース氏は欧米文化ばかりを追いかけていた当時の日本人に「自国の古代文化を知る素晴らしさ」を教えてくれました。 寅次郎には昔、学んだ「現地・現物の精神(自らの目と足で現地・現物を知る)」を思い出させてくれた大森散歩でした。 |
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近代文学発祥之地 本郷 文京区本郷5-18-3 最寄駅 東京メトロ丸ノ内線 本郷三丁目駅 |
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近代文学を生み出した作家たちはなぜか同じ土地に住むのを好んだとのことです。本郷はそのような土地の典型で多くの文人が住んでいました。 菊坂通りと本妙寺坂交差点を北上した右手のマンションの入口に「近代文学発祥の地 本郷」のプレートがあり、本郷に住んだ人々20名の名前がありました。 |
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(掲載順) 樋口一葉、宇野浩二 石川啄木、広津和郎 坪内逍遥、伊藤野枝 徳田秋声、高田 保 宮沢賢治、宇野千代 二葉亭四迷、尾崎士郎 竹久夢二、宮本百合子 大杉 栄、石川 淳 谷崎潤一郎、月形竜之介 直木三十五、坂口安吾 他 |
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周辺の柱には秋声、一葉、啄木、逍遥の言葉や歌のプレートがありました。 文学者達が本郷に住んだ理由は諸説ありますが、明治10年(1877年)近くに帝国大学(後の東京大学)が設立されたことが一因かと思われます。 東大には試験で入るのは難しいですが、赤門(写真下左)からは無試験で入れます。安田講堂、三四郎(写真下右)等の構内散策が出来ます。 |
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日本近代初等教育発祥の地 芝公園 港区芝公園1丁目 最寄駅 都営三田線 御成門駅 |
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ウォーキング例会で地下鉄御成門駅A3を出たら碑がありました。 道路の向こうは芝公園。案内板によると明治5年(1872年)学制発布に先立ち、明治3年に府内の寺院を仮校舎とした六つの小学校が開校されたとのこと。 小学第一校は増上寺子院の源流院で(現在の碑はその跡地)8歳から15歳の子供が机、筆硯、弁当を持参して主に句読(音読)、習字、算術を学んだとのこと。 (読み、書き、そろばんです) |
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開拓使仮学校跡 芝公園 |
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御成門交差点を渡り、芝公園に入るとすぐに、こんな碑がありました。 北海道開拓の人材を養成するため増上寺方丈を購入、明治5年(1872年)この地で開校。札幌に移す計画だったので仮学校としました。札幌農学校・北海道大学の前身とのことです。 |
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生徒は官費生・私費生の男子各60名。6ケ月後には官費生50名の女学校を併校。卒業後は北海道在住の人と結婚することを誓わせたと碑に記載してありました。当時の北海道開拓の大変さが滲み出ていました。 |
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碑の前方には東京タワー(写真左)があります。東京スカイツリー(写真右)に高さでは負けましたが、温かみのあるその姿は相変わらず人気で多くの人で賑わっています。 |
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[学問・文化編 その3へ続く] 平野 寅次郎 拝