紀行

寅さん歩 その8−5

東京発祥之地めぐり 〜学問・文化編ー3〜


平野 武宏
文明開化の大きな変化の一つに鉄道の始まりがありました。
幕末に江戸湾に姿を現した黒い煙を吐く蒸気船に大騒ぎした江戸の人々が籠や馬に変わる乗り物 レールを走る蒸気機関車や地下を走る電車の誕生を目のあたりにし、乗りこんだ時の驚きは想像できますね。
それぞれの発祥の地を訪ねました。


鉄道発祥之地 旧新橋停車場 

 
港区東新橋1-5-3  最寄駅 JR新橋駅
新橋駅銀座口から昭和通りを進み、銀座中央通りを越すと右手にあります。
明治5年(1872年)日本初鉄道新橋―横浜間開通しました。当時と同じこの場所に駅舎が再現され、鉄道歴史展示室となっています。
正面石段の最下段は発掘された切石とのこと。
建物の後ろには鉄道開通の起点となった0哩(ゼロマイル)標識や創業時の線路、プラットホームも再現されております(写真右)0マークの細い石柱が0哩標識です。東京駅の開業まで東海道本線の起点でした。
地下鉄発祥之地  浅草駅・上野駅
大正3年(914年)ロンドンに留学地下鉄を体験し、これからの交通として調査・研究した早川徳次氏は大正9年(1920年)東京地下鉄道株式会社を設立。
昭和2年(1927年)上野〜浅草間(14.3km)を開通させました。
当時のままの姿で残る浅草駅4番出口です。(写真右)
東京メトロ銀座線 浅草駅4番出口(写真上)を降りると、改札前の柱に創業当日を報道した新聞(中外商業新報)記事が飾られています。
  
  「我が交通上最初の試み
    地下鐡道本日開通
 
   上野から浅草まで一哩半
     輝しき帝都交通の誇り」
 

更に昭和9年(1934年)には浅草〜新橋間を開通。
新橋〜渋谷間は東京高速鉄道が建設・運営を行い、昭和14年(1939年)開通、相互乗り入れを行いました。
両社は昭和16年(1941年)統合帝都高速度交通営団となりました。
平成16年(2004年)東京地下鉄株式会社東京メトロ)に改称。
  
東京メトロ銀座線上野駅1番ホームの壁には創業時ポスターレリーフが飾られていました。


江戸寄席発祥之地  下谷神社   

台東区東上野3-29-8  最寄駅 東京メトロ銀座線 稲荷町駅

JR上野駅から浅草通りを歩きました。下谷神社前の信号(稲荷町駅)があり、赤い大きい鳥居が見えます。
寛政12年(1798年)6月境内で山生亭花楽(さんしょうていからく)が初めて有料開催した咄の会(はなしのかい)が江戸寄席之発祥と言われています。但し、持ちネタが少なくわずか5日で興行は終了とのこと。
失意の花楽は一時、噺家をやめましたが、その後、三笑亭可楽と改め、江戸で初めてのプロ噺家といわれるようになりました。
その名前は弟子に引き継がれています。
寄席発祥之地碑の右脇に正岡子規句碑寄席はねて上野の鐘の夜長哉」がありました。                  
下谷神社(写真上左)、この門の右側に寄席発祥之地碑と子規の句碑(写真上右)があります。

お参りした後は浅草通りを直進し下町浅草又は上野に戻って芸術の森を楽しんでください。東京の美術館・博物館・公園には入場料が無料になる時がありますので、事前に調べてのお出かけをお奨めします。


講談発祥記念之地 薬研堀(やげんぼり)不動院  

中央区東日本橋2-6-8  最寄駅 都営浅草線 東日本橋駅


落語の次は講談です。東日本橋駅B3出口を出ると、柳の道に江戸三大不動尊の赤いのぼりが迎えてくれます。薬研堀不動院(川崎大師の東京別院)はガソリンスタンド右折すぐです。江戸三大不動の後二つとは目黒、目白不動尊。正面左脇の境内に記念碑があります。
 
元禄の昔、赤松清左衛門浅草見附付近町辻で太平記を講じ、江戸講釈発祥となり、長く庶民に親しまれ「太平記場起原之碑」が建てられました。後にこの碑が当不動尊の境内に移されましたが、関東大震災で消滅。その後、講談会が統一組織 講談協会になったのを機縁に、弘法大師1150年御遠忌記念として昭和59年(1984年)講談発祥記念碑を再建しました。
本堂では昭和57年から毎月28日の縁日に「講談の会」が行われています。
また、薬研堀不動院は江戸中期から納めの歳の市(正月用品販売)が行われる場所で12月14日深川八幡宮を皮切りに浅草・神田・芝・湯島と行われてきた江戸市中での最後の歳の市が12月28日にここで行われていました。
戦争で中断しましたが、下町の風物詩を残すため保存会が出来、昭和40年から地元商店街による「大出庫市」が行われているとのことです。
順天堂発祥之地  薬研堀不動院



講談の碑の隣に遍路大師(弘法大師)尊像があり、その隣には順天堂発祥之碑がありました。
当地に天保9年(1838年)順天堂の始祖 佐藤泰然(たいぜん)が和蘭(オランダ)医学塾開講したそうです。
お帰りは柳の道を進むと両国橋西詰に出ます。
両国橋を渡って相撲の街散歩や手前の柳橋を渡って人形の街、浅草橋散歩が楽しめます。


講談高座発祥の地  湯島天満宮境内  

文京区湯島3-30-1   最寄駅 東京メトロ千代田線 湯島駅

ウォーキング例会で湯島天満宮(略称 湯島天神)を訪れ、男坂を下る時に見つけました。江戸時代中期までの講談は町辻や粗末な小屋で聴衆と同じ高さで講じられていました。文化4年(1897年)湯島天満宮の境内に住み、ここを席場としていた講談師 伊東燕普が家康の偉業を読むに当たり庶民と同じさでは恐れ多いことを理由に高さ三尺、一間四面の高座常設を北町奉行 小田切土佐守に願い出て許されたのが伝統話芸の講談高座の始まりとのこと。
碑は平成17年(2005年)六代目一龍斎貞水が建立、発起人に文京区、湯島天満宮とありました。
湯島天満宮は湯島の白梅で有名な場所・学生たちお助けの学問の神様の場所です。境内には多くの碑があります。梅や受験で混雑の時期を外すとゆっくり見られます。

お帰りは本殿右の男坂の階段を下り上野公園不忍池・御徒町アメ横方面へ、又は正面鳥居から出て神田明神・湯島聖堂を経て御茶ノ水駅方面への散歩をお奨めします。

 [学問・文化編 その4へ続く]   平野 寅次郎 拝