紀行
東京発祥之地めぐり 〜学問・文化編ー3〜
平野 武宏 | |||||
文明開化の大きな変化の一つに鉄道の始まりがありました。 幕末に江戸湾に姿を現した黒い煙を吐く蒸気船に大騒ぎした江戸の人々が籠や馬に変わる乗り物 レールを走る蒸気機関車や地下を走る電車の誕生を目のあたりにし、乗りこんだ時の驚きは想像できますね。 それぞれの発祥の地を訪ねました。 |
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鉄道発祥之地 旧新橋停車場 港区東新橋1-5-3 最寄駅 JR新橋駅 |
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建物の後ろには鉄道開通の起点となった0哩(ゼロマイル)標識や創業時の線路、プラットホームも再現されております(写真右)0マークの細い石柱が0哩標識です。東京駅の開業まで東海道本線の起点でした。 |
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地下鉄発祥之地 浅草駅・上野駅 | |||||
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東京メトロ銀座線上野駅1番ホームの壁には創業時のポスターのレリーフが飾られていました。 |
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江戸寄席発祥之地 下谷神社 台東区東上野3-29-8 最寄駅 東京メトロ銀座線 稲荷町駅 |
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JR上野駅から浅草通りを歩きました。下谷神社前の信号(稲荷町駅)があり、赤い大きい鳥居が見えます。 寛政12年(1798年)6月境内で山生亭花楽(さんしょうていからく)が初めて有料で開催した咄の会(はなしのかい)が江戸寄席之発祥と言われています。但し、持ちネタが少なくわずか5日で興行は終了とのこと。 失意の花楽は一時、噺家をやめましたが、その後、三笑亭可楽と改め、江戸で初めてのプロ噺家といわれるようになりました。 その名前は弟子に引き継がれています。 寄席発祥之地碑の右脇に正岡子規の句碑「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」がありました。 |
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下谷神社(写真上左)、この門の右側に寄席発祥之地碑と子規の句碑(写真上右)があります。 お参りした後は浅草通りを直進し下町浅草又は上野に戻って芸術の森を楽しんでください。東京の美術館・博物館・公園には入場料が無料になる時がありますので、事前に調べてのお出かけをお奨めします。 |
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講談発祥記念之地 薬研堀(やげんぼり)不動院 中央区東日本橋2-6-8 最寄駅 都営浅草線 東日本橋駅 |
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落語の次は講談です。東日本橋駅B3出口を出ると、柳の道に江戸三大不動尊の赤いのぼりが迎えてくれます。薬研堀不動院(川崎大師の東京別院)はガソリンスタンド右折すぐです。江戸三大不動の後二つとは目黒、目白不動尊。正面左脇の境内に記念碑があります。 |
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また、薬研堀不動院は江戸中期から納めの歳の市(正月用品販売)が行われる場所で12月14日深川八幡宮を皮切りに浅草・神田・芝・湯島と行われてきた江戸市中での最後の歳の市が12月28日にここで行われていました。 戦争で中断しましたが、下町の風物詩を残すため保存会が出来、昭和40年から地元商店街による「大出庫市」が行われているとのことです。 |
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講談高座発祥の地 湯島天満宮境内 文京区湯島3-30-1 最寄駅 東京メトロ千代田線 湯島駅 |
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ウォーキング例会で湯島天満宮(略称 湯島天神)を訪れ、男坂を下る時に見つけました。江戸時代中期までの講談は町辻や粗末な小屋で聴衆と同じ高さで講じられていました。文化4年(1897年)湯島天満宮の境内に住み、ここを席場としていた講談師 伊東燕普が家康の偉業を読むに当たり庶民と同じさでは恐れ多いことを理由に高さ三尺、一間四面の高座常設を北町奉行 小田切土佐守に願い出て許されたのが伝統話芸の講談高座の始まりとのこと。 碑は平成17年(2005年)六代目一龍斎貞水が建立、発起人に文京区、湯島天満宮とありました。 |
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湯島天満宮は湯島の白梅で有名な場所・学生たちお助けの学問の神様の場所です。境内には多くの碑があります。梅や受験で混雑の時期を外すとゆっくり見られます。 |
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お帰りは本殿右の男坂の階段を下り上野公園不忍池・御徒町アメ横方面へ、又は正面鳥居から出て神田明神・湯島聖堂を経て御茶ノ水駅方面への散歩をお奨めします。 | |||||
[学問・文化編 その4へ続く] 平野 寅次郎 拝