随筆
谷村 彪 |
写真は谷村さんが撮った<平山画伯描いた壁画>のと全く同じシ−ン |
2011年2月末、私は会期が残り1週間となった催し物を観るため東京国立博物館・平成館に居た。目的はある壁画である。「仏教伝来の道・平山郁夫と文化財保護」展。平山郁夫画伯は国境にこだわらず戦争や災害によって被害を受けた文化財を救う活動にいち早く着目し、取り組んだ事でよく知られている。 その企画展は2部構成となっており、第1部が「文化財の保護と継承・仏教伝来の道」、第2部が「文化財保護活動の結実・大唐西域壁画」である。 私はそれまで平山画伯といえば「シルクロ−ド」、「シルクロ−ド」といえば平山画伯といった程度で、毎年カレンダ−でその雰囲気を感じとるのみであったが、あるキッカケで、実際にその壁画を観ることになったのだ。そのキッカケとは、この企画展のPRチラシに描かれている絵(壁画)と、その紹介文であった。その絵は私がトレッキングで2004年にエベレスト街道から肉眼で見た峰々そのものであった。正面にエベレスト、そしてその前にロ−チェ、アマダブラム、タムセルクといった7000mから8000mの山々が描かれていたのである。紹介文を要約すると『「万年雪をかぶり、天高くそびえる険しい山々---。故・平山郁夫画伯がその集大成として描いた「大唐西域壁画」のクライマックスは、第4場面<西方浄土須弥山>である』と。 これはどうしても自分の目で確認しなければ・・・と訪れたのが会期修了間近かの2月末であった。会場にはインドや中国、カンボジアなどで平山画伯が私財を投じて集めた仏像や、戦争の混乱でアフガニスタンから流出した壁画などの文化財が展示されていたが、私のお目当ては第2部の「大唐西域壁画」、その中の<西方浄土須弥山(さいほうじょうどしゅみせん)>である。この壁画は平山画伯が20年以上かけて制作し2000年12月奈良 薬師寺に奉納され、寺外では今回初めて公開されたものである。画伯は唐の時代に僧が中国 長安からインドのナ−ランダ寺院に至るまでを7場面(13枚の壁画)に描いている。 展示場に入ると縦2.2mの壁画が13枚、全長37mにわたりスポツトライトを浴びている。その中で特に目立つのが中央に位置する<西方浄土須弥山>。横9.6mもある。須弥山は仏教の宇宙観において、世界の中央に聳えるという山で、平山画伯はこの一連の壁画の本尊としてヒマラヤ山脈をモチ−フに選んだという。平山画伯は1981年12月にヒマラヤの荘厳さと凍てつく寒さを描くべく、標高4000mのエベレスト・ビュ−への取材を敢行したとのことである。 私は壁画に魅せられて30分以上居た。最初は中央、そして右、左、また中央と場所を変え縦2.2m横9.6mの大壁画をじっくりと見直した。私が現地で見た2004年10月のシ−ンが蘇ってきた。それにしても、さかのぼること20数年前、平山画伯が同じ場所でスケッチをしていたとは・・・ (ご関心のある方はHPで「平山郁夫 西方浄土須弥山」で検索してみてください)
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