紀行
その1 藤沢駅〜鵠沼間
八柳修之 |
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10月5日の例会は「江ノ電沿線ウォーク」、江ノ電藤沢駅から鎌倉駅まで線路沿いを歩くという企画であった。藤沢駅〜鎌倉駅間、10kmを33分かけて走る江ノ電は、沿線住民の生活路線であり観光路線でもある。近年は後者の色合いが強い。走る電車の形式が色々あるから、その車両を撮影する鉄ちゃんや鉄女のファンが多い。 江ノ電のホームページによると江ノ電は開業(1902年)、全線開通は1910年、全線開業時には藤沢〜鎌倉の小町間に40駅あったそうだが、その後、どんどん駅の数が少なくなり、現在の15駅になったのは、昭和25年(1950)のことであるという。 無くなった駅の痕跡を訪ね歩いて見るのも老人の暇つぶしに好適と思って始めて見ようと思った。江ノ電に昔の駅の跡を示す地図がないか問い合わせたが、残念ながらないという。 手がかりは江ノ電HPの「当方見聞録第8章江ノ電駅ものがたり」の半頁と全線開通時の路線図のみである。ならば、駅名、というより停留所跡をグーグルマップによって推理しなから歩くのも面白いと思った。 |
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江ノ電は、1902年(明治35)9月、藤沢・片瀬間に江ノ島電気鉄道によりが開業した。 開業に至る紆余曲折はここでは触れない。開業当時、藤沢〜鵠沼間の駅は、藤澤、石上、川袋、藤ヶ谷、鵠沼となっている。開業時から下ること、21年、大正12年(1923)の関東大震災後、作成された「大藤澤復興市街図」が参考になる。これによると、藤沢駅の次が、いしがみ、たかすな、かわぶくろ、やなぎこうじ、ふじがや、くげぬまとなっている。 以下、参考資料は末尾に記すが、鵠沼を語る会の渡部瞭氏の著作によるところが多い。 |
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藤澤駅 開業当時の江ノ電の駅は、国鉄藤澤駅に隣接していた。写真は絵ハガキ、停車前(藤澤八景の内)とある。手前が江ノ電。 (著作権切れと判断し掲載) 現在の江ノ電藤沢駅は、小田急百貨店藤沢2階にあるが、高架化されたのは1974年、1985年までは江ノ電百貨店であった。 |
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砥上(いしがみ)停留所 復興市街図にある「いしがみ」は現在の石上駅とは場所が違う。 開業当時のいしがみは、藤沢駅から江ノ電高架線を左上に見ながら約5分、一つ目の信号の十字路三井のリハウス辺りにあったたものと想定される。では線路沿いに歩いてて見よう。 |
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大藤澤復興市街図 |
高砂(たかすな)停留所→石上駅 現在の石上駅は、1920年の開業当時から1940年(昭和15)まで高砂停留所といった。 前記のいしがみ、たかすなとも1940年2月末で戦時廃止となり、1950年(昭和25)7月15日に高砂停留所が石上駅の名で復活している。 現在の石上駅は少し南側、高瀬通りと交差した所にある。 【脱線】左の地図の高瀬通りは生糸貿易で財をなした高瀬三郎にちなむ。三郎の子、彌一は、関東大震災後江ノ島に水を供給するため、自宅の庭に井戸を掘り、江ノ島まで水道管を敷設した。1928年(昭和8)湘南水道(株)となり、のち県営水道に移管された。
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川袋(かわぶくろ)停車所 渡部瞭氏によると、高砂停留所から緩やかな坂を下ったところで境川の堤防上に出た。そこに川袋停留所があったという。当時、境川は蛇行していて、現在の直線的な流路に付けかわったのは、1917年(大正6)、江ノ電開通後15年間は川袋と、次の柳小路停留所の間は境川に沿って電車が走っていたことになると。付け替え後も戦中、戦後の一時期、石上・柳小路を廃止して川袋に一本化したこともあった。氏によれば川袋停留所跡地は江ノ電の資材置き場になっているとのことだが、最近、駐車場となっている。 |
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【脱線】「川袋」 川が大きく蛇行している所には、よく袋という地名がついている。川が袋のような形に土地を取り巻いていることから来たもの。河川改修で川が真直ぐになり、埋め立てられ、地名だけが残っている。川袋はもともと片瀬の小字、昭和初期に片瀬山から土を運んで埋め立てた。 |
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柳小路駅 復興市街図によると、川袋、柳小路、藤ヶ谷間の駅幅は300mにも満たない。現在の柳小路駅は、1920年(大正4)開業しているが、大正11年、3軒の別荘があったのみとか。川袋一帯は柳が多く小字は柳小路と呼ばれていた。 石上駅から600m、鵠沼駅へ700m、無人駅である。近くに鵠沼高校があるが、歩いて通学している生徒が多いようだ。よい事だ。 |
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藤ヶ谷停留所 | |||
復興市街図にある藤ヶ谷停留所の位置はよく分からなかったが、線路脇の僅かな余裕地や線路を横断する道がある所が目のつけ所である。線路沿いに鵠沼駅方面に歩いて行くと、奥山動物病院の先が突き当りとなり横断路となる。信号を渡る際、鵠沼方を見ると、余裕地があり枕木を組んだ花壇がある。この花壇が藤ヶ谷停留所跡ではないかと思われる。 この辺り明治初年ころまでは松林であったが、別荘地にするために当時として破格の100円で売られたため、村民は驚き、百両山別荘地と呼んだというから、別荘族のための停留所であったと思われる。 【これはほんとの脱線】江ノ電100年史によると、なんど江ノ電開業の当日、藤ヶ谷付近で正面衝突したという記録がある。 |
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写真下左:奥山動物病院前信号から鵠沼方面を望む。右側花壇がある所が、藤ヶ谷停留所跡と想定される。写真下左、奥山動物病院付近は「わがまち ふじさわの景観130選」鵠沼地区景観10選―8「風情のある住宅地を走る江ノ電」撮影ポイント |
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鵠沼駅 鵠沼駅は開業当初から現在の位置にある。 駅前に人力車が待っている写真がある。 現在の駅舎は地下にあり1985年(昭和60)開業。地下で東西を結んでいるが、車の横断はできない。上下線の電車の交換駅で、ホームの先端からは江ノ島展望台が望める。 この後、電車は境川鉄道橋を渡り、左岸を走るので、少し戻って境川橋を渡り対岸に出ることにする。 鵠沼駅(地下駅) 駅前の石畳はかつて腰越辺りの路面で使われたものだそうだ。 |
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ホーム先端から江ノ島展望台が見られる。 | 鵠沼鉄橋 鉄ちゃん撮影スポット | ||
(その1完) | |||
参考資料:藤沢市 「藤沢市史年表」、鵠沼を語る会「鵠沼」15号・83号・85号、江ノ電 「江ノ電100年」、小田急HP、藤沢市(日本地名研究所編 「藤沢の地名」 | |||