紀行
東京の富士塚めぐりー2
平野 武宏 |
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今回は今でも常時、登れる富士塚のある渋谷区・文京区を巡ってみました。 (高さは伝えられている高さ、最寄り駅は代表例です) | |
[渋谷区] |
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千駄ヶ谷富士 千駄ヶ谷1 鳩森八幡神社内 最寄駅 JR千駄ヶ谷駅 寛政元年(1789年)築造。 大正12年(1923年)関東大震災で壊れ、その後修復。 |
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現存する都内最古の富士塚で最も富士の姿をとどめているとのこと。ウォーキング例会で一度訪れていますが、登るのは初めてです。 千駄ヶ谷駅を降りて、左手に東京体育館を見ながら、道をまっすぐ行くと鳩森神社。 すぐ隣が将棋会館なので境内には六角の将棋堂がありました。 |
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鳩森神社社殿 | 境内の富士塚絵図 |
約6mのお山に正面の登山口から登りました。入口の石橋の下はお清めの八海を表す池(水はない)、要所に石碑や露岩が置かれた、かなり急な道。 山腹の木々も下はつつじ、上はクマザサ。七合目の洞窟には身禄像(1733年断食行に入り、入定即身成仏といわれている富士講の中興の祖)が安置されている。あっという間に富士山の溶岩で造られた山頂に到着。 |
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正面登山口 | 正面登り道 |
七合目 身禄像 | 奥宮 |
甲賀稲荷脇からの登り口 | 能舞台脇からの登り口 |
山頂には奥宮があり、三人立てば満員の場所(でも今までで一番広い山頂です)左写真は山頂からの下の眺め。 これで富士山に登った気分になったという江戸時代の人々と同じ気持ちを味わいました。 登り口は正面の他、裏面・甲賀稲荷脇・能舞台脇とあり、各登り口から登ってみました。毎年の開山式は6月3日とのこと。 |
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渋谷区の富士塚は他にはありませんでした。 | |
文京区には「文京三富士」がありました。 |
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[文京区] 駒込富士 駒込5-7 富士神社内 最寄駅 東京メトロ南北線 本駒込駅 寛永6年(1629年)本郷より移転 |
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現在の東大赤門にあった天正2年(1574年)建立の浅間社(本郷富士)を加賀藩前田侯が上屋敷を賜るに当たり、この地に移転したとのこと。 富士神社の小山全体(元古墳)が富士塚でした。社殿(下写真右)に上る階段の両側は朱字が目立つ富士講碑が賑やかでした。高さは約7mとのこと。 山開きは6月30日〜7月2日の3日間。この地で栽培の「駒込ナス」は江戸時代での貴重な野菜だったと石段前の掲示板に書かれてありました。 「一富士 二鷹 三なすび」は駒込の地を詠んだものとのこと。 |
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音羽富士 大塚5-40 護国寺内 最寄駅 東京メトロ有楽町線 護国寺駅 文化14年(1817年)築造。平成元年(1988年)再興 |
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五代将軍徳川綱吉が生母 桂昌院の発願で天和元年(1681年)建立した護国寺も以前に訪れましたが、富士塚の存在は知りませんでした。 仁王門を入り右側奥にある鳥居が富士道の入口でした。登り道すぐ右手には胎内、富士講碑が立ち並び、八合目の烏帽子岩を過ぎると奥宮に到着。 |
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仁王門 | 富士道入口 |
登り道 | 胎内 | ||
八合目 烏帽子岩 | 奥宮 | ||
高さは約7mとのこと。富士道入口の鳥居の手前には日本民謡協会設立に尽力した青木好月を顕彰した「民謡の碑」、音羽に縁のある海沼実作詞・作曲の童謡「からすの赤ちゃん」歌碑、「私立獣医学校発祥の地」の碑がありました。 |
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白山富士 白山5 白山神社内 最寄駅 都営三田線 白山駅 文政9年(1826年)築造 |
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白山神社はあじさいの名所であじさい祭に来て、登ったあじさいに覆われた社殿隣の社務所の裏山が富士塚と知りました。富士塚には富士講碑が見当たらず、その代わりがあじさいの花でした。近隣宅のプライバシー保護のため、祭りの期間だけ富士塚を開放するそうで、入り口の門は施錠してありました。高さは約4mとのこと。 |
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白山神社社殿 | あじさい祭り時の社殿脇 | ||
富士塚入口 | あじさい祭り時の富士塚入口 | ||
[次回は国の重要文化財になっているという富士塚を巡ります] |
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平野 寅次郎 拝 |