紀行

寅さん歩 その9

東京の富士塚めぐりー3


平野 武宏

国の重要有形民俗文化財に指定されている富士塚が都内に3つあると聞き探しました。一つは寅次郎の地元の豊島区にありました。
(高さは伝えられている高さ、最寄り駅は代表例です)
[豊島区]

長崎富士 高松2-9−3 富士浅間神社内  
     最寄駅 東京メトロ副都心線 要町駅

文久2年(1862年)長崎村 月三講の椎名町元講の人々により築造。
表面は富士山のボク石(溶岩)で覆われ、約8mの高さとのこと。
江戸時代築造の富士塚の中で原形をとどめているとして昭和54年(1979年)5月21日国の重要有形民俗文化財に指定された。その美観と偉容を後世に伝えるため昭和62年(1987年)に昭和の大改修が行われました。
以後は豊島長崎富士塚保存会が山掃除・保存修繕事業を定期的に行っています。(説明板の文言です)お宝の為かフェンスに囲まれ施錠され、登ることはできませんでした。

 登り口 右隣にある浅間神社
烏天狗像 フェンスの外から山頂を望む

池袋富士
 池袋本町3-14 氷川神社内 
     最寄駅 東武東上線 下板橋駅

明治45年(1912年)池袋 月三十七夜講により築造。(明治42年説もあり)全山が富士山のボク石(溶岩)で覆われている。高さは約5m。入口の門は空いていたが、正面の立札は「登らないでください」とあり。東京都豊島区指定史跡とのこと。

登れない登り口(入口に二匹の猿) 右隣にある氷川神社
ボク石に覆われた富士塚と講碑 
豊島区にはこの他に残存の富士塚はありませんでした。

二つ目の昭和45年(1970年)国の重要有形民俗文化財に指定の富士塚は台東区ありました。
[台東区]

下谷坂本富士  小野照崎神社内  下谷2−13−14
         最寄駅 東京メトロ日比谷線  入谷駅

文政11年(1828年)坂本の住人で東講先達の山本善光、入谷の住人で東講元の大坂屋甚助が協議して築造、富士山浅間神社の祭神を勧請したという。高さは約5m。塚は富士の溶岩で覆われ、東北側一部が欠損しているものの、原形をよく保存されていると国の重要民俗文化財に指定された。(説明板の文言です)入口は施錠され登れず、例祭の6月30日とお山開きの7月1日には登れるとのこと。

  
富士塚 正面 右隣にある小野照崎神社
台東区には他に残存する富士塚はありませんでした。

三つ目の昭和45年(1970年)国の重要有形民俗文化財に指定の富士塚は練馬区にありました。

[練馬区]

江古田富士   茅原浅間神社内  小竹町1−59−2
        最寄駅 西武池袋線  江古田駅

天保10年(1839年)に富士講の一派 小竹丸祓講によって築造されたものと考えられますが、一説には文化年間(1804〜1818年)築造とも言われています。高さは約8m。関東大震災で損壊しましたが、その後、復旧され、塚全体が富士山の溶岩で覆われています。都内の富士塚の中で大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして国の重要有形民俗文化財に指定されました。(説明板の文言です)
茅原浅間神社社殿  社殿の右にある富士塚
富士塚登り口(道両側に二匹の猿) 山頂奥宮を望む

 ここは登山できる期間として次の表示あり。     
1/1〜3日正月三が日、7月1日山開き、9月第2土・日曜日(例祭)

下練馬富士  浅間神社内  北町2−41−2
       最寄駅 東武東上線  東武練馬駅南口

宿場町には富士塚が多いそうです。下練馬富士塚も旧川越街道(太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な街道の役割を果たす)に面した場所にありました。7月1日は山開きとのこと。

右浅間神社、左富士塚 登り口の二匹の猿
五合目の大天狗・小天狗 山頂の奥宮
築造年代は不明。明治5年(1872年)再築とのこと。

国の重要有形民俗文化財に指定された三つの富士塚を訪ねましたが、いずれもフェンスに囲まれ、施錠され、説明板に書いてある多くの石仏 群を見ることが出来ず、親しみが湧きませんでした。
お宝だからこそ、常時開放し、じっくりとみたいのに・・・(山開きの時期に開放する富士塚もありますが、きっと本物の富士山頂のように大混雑することでしょう)せめて登れなくとも塀の中に入り、近くから富士塚を眺めたいものです。
富士山から運んだというボク石(溶岩)を踏んで登り、猿や天狗像に直接会うことが出来た他の富士塚の方が強く印象に残りました。

寅さん歩の読者からうれしい連絡がありました。
このホームページ ひろばに川柳のコーナーを持っている(FWA会報に毎回川柳を寄稿。会報を後ろから読ませる川柳王)金子勝彦氏より、寅さん歩「発祥之地シリーズ」を読み、川柳発祥之地を訪ね、龍宝寺の柄井川柳の墓参りをしたとのこと。
そして寅次郎に向けた一句 「これからは 富士の病に とりつかれ」には感服いたしました。

   
[次回は残った練馬区の富士塚と気楽に登れる富士塚を訪ねます]
平野 寅次郎 拝