随筆
江尻 忠正 |
私の現役時代は、アマチュアに関する規則が厳格に守られ、選手及び関係筋に対し厳守が求められていました。現在、容認されている項目中にも違反項目が多く競技者は身を律し日常管理を含め競技に関連する事項は、全て自己責任で厳守することが当たり前で善意の援助にも神経を使っていました。現在は、対応改善が進み緩和されているとことに、今昔の想いがいたします。
冬場の練習は、0℃に近い気温低下時、降雪時の吹雪の寒さ、積雪の多い時期のトレーニングは想像以上に辛く厳しい状態でした。靴が凍り、ウエア―の袖に凍った汗が溜った状態でのトレーニングは、自分に課した最大の負荷だと思っています。また夏場はエアコン普及前で、炎天下の猛暑の中のトレーニング、道路のアスファルトは太陽熱と車のブレーキ痕で歪み、通常の道路状況が見られない状態で酷暑に耐えながらのトレーニングが通常でした。当時は「辛抱・努力・忍耐」が生活の信条でした。 現役時代、往年の三段跳びの名選手、南部忠平先生と懇談・指導を受ける機会がありトレーニングの心得を聞いたところ「風や雨・雪は自然現象、気にすると練習は出来ない。どんな状態で何が起ころうが、こちらも勝手に練習し乗り越える覚悟を持って取り組むことが大切」と教わった事を思い出しながらトレーニングに励んだことを今も懐かしく思い出す一つです。 当時、一般の人達には競歩競技に対する認知が無く、トレーニングで異様な恰好で走る狂人と見られ、野犬の群れにも襲われました。バイクの事故に遭遇しバイクと共に水田に転落したり、真夏の耐久練習で水補給に水田の溜り水を飲んだり、積雪の中での競歩練習など一般の人達には理解できない馬鹿げた話題は日常茶飯の事でした。 30歳に近づいた頃、「何時まで競技をやっているのだ、将来をどうするのだ」と親身になって心配・忠告を頂いた人達も多く、競技に区切りを付ける時期を誤ることなく、競歩選手生活を仕事中心に切り替えることができ、現在に至ったことは非常に良かったと考えています。(つづく) |