紀行
その3 江ノ島〜腰越(小動) 間
八柳修之 |
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1902年(明治35)江ノ電開業当時の路線図によると、片瀬(現江ノ島)、龍ノ口、中原、土橋、神戸橋(ごうどばし)、谷戸(現腰越)、満福寺下、腰越となっている。開業当時の腰越停留所は現在の腰越駅の場所ではない。江ノ島駅から腰越停車所(のち小動)までの約700m間に6つもの停留所があった。この間、大半腰越商店街を通る併用軌道になっており、痕跡から往時の停留所跡見つけることは難しいが、先日、お会いした山本橋の伊勢屋さんのKさんから伺った話では、旧腰越町には五ヵ町あり中原町、土橋町、神戸町があったという。 |
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龍ノ口停留所 |
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江ノ島駅を出ると電車はいきなり龍口寺山門前を大きく急カーブ(カーブの半径28m)した後、腰越商店街を直進する。Kさんのお話では龍口寺門前の上州屋菓子店の前に龍ノ口停留所があった。同じく角に創業天保年間という扇屋和菓子店があり、江ノ電最中が売り物だが、平成2年まで走っていたという電車の先頭部が突き刺さった形で保存されている。 651号車、小さい感じがするが、もともとは東急玉川電車で走っていたものだという。 |
↑上州屋の角 龍ノ口停留所跡 | 江ノ電電車の顔だけ残る扇屋 |
中原停留所 伊勢屋のKさんの話では、商店街を十字に横断する道があり、角に魚屋さんがある所だという。線路を横断する道の左角に魚屋さん、「かねしち魚店」(腰越三丁目20)がありました。 |
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土橋停留所 以前、土橋があり、郵便局は最近廃止されたが、交番がある所、すぐ分かりますよというKさんの話とおり交番はすぐに見つかった。はす向かいの湘南信金前から撮影。 (写真左側2軒目、引っ込んだ所が腰越交番) |
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神戸橋停留所(ごうど) 伊勢屋のKさんの話では停留所は神戸川の橋の袂にあったという話であったが、同じ話を神戸橋の松葉屋米店のご親切な店主からもお聞きした。昔の場所を訪ねるには酒屋さんや米屋さんがよい。「神戸川沿いの道は東京五輪の際に出来た道です。私の店は道路工事のため大きくセットバックさせられました。橋の袂の美奈月の前に停留所がありました」 「でも、すぐ腰越駅ですね」「でも昔の電車は短かったんです」 |
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谷戸停留所(現腰越駅) 谷戸停留所は1948年(昭和23)に腰越駅と改称されている。ホームの長さが短く、4両車両の場合は鎌倉方のドアが開かない。それでも1993年(平成5)にホームを延長している。満福寺へ行く人はここで下車する。お寺まで3分。 写真は鎌倉方、腰越1号信号から見た腰越駅 |
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満福寺下停留所 真言宗龍護山満福寺は、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた義経が、鎌倉入りをしようとした際、兄・頼朝に拒まれ、ここで二心のないことを訴えた「腰越状」を書いた事で有名、その下書きも保管されている。参道を横切る電車は鉄ちゃんスポット。 |
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腰越停留所 のち小動(こゆるぎ) |
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江ノ電開業1902年(明治35)当時、腰越停停留所があったというが、どこの場所にあったのか伊勢屋さんも松葉屋さんも分からなかった。グーグルで検索すると、腰越停留所は1918年(大正7) 腰越浜上停留所と改称、さらに1929年(昭和4)小動停車所と改称されている。また、著作権上転載できないが、高台から撮影した古い写真によると、電車が急カーブし海岸に出た所に電車の交換場があった。その小動停車所跡は左側の切りたった崖の切れる現在の腰越3号踏切の跡付近にあったと推定される。小動を出ると電車は海沿いを走る。(つづく) |
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参考資料:「神奈川県の歴史」山川出版、「鎌倉三浦半島おもしろ地名考」三浦一男江ノ電HP |