紀行

寅さん歩 その9

東京の富士塚めぐりー4


平野 武宏

練馬区に残る富士塚は前章で二つを紹介しましたので、残りの二つを紹介します。いずれも埼玉県に近いところにありました。
(高さは伝えられている高さ、最寄り駅は代表例です)

[練馬区]

中里富士(大泉富士) 八坂神社内 大泉町1-19  
           最寄駅 東武東上線 成増駅南口から石神井公園行きバス利用

土支田2丁目でバスを降り、清水山憩いの森(カタクリの群生地・名水の地)を抜けて、白子川にかかる別荘橋を渡ると鳥居が見えました。石段を上がると正面が八坂神社(写真右)
江戸時代からの鎮守で、境内には「ねりまの名木いちょう」があり。右下奥を見ると、もう一つ鳥居があり、富士塚登山道の入口でした。
塚の高さは約12m。九十九折の細い・かなり急なコンクリートの登り道でした。
七合目 亀石  富士塚全貌
八合目 烏帽子岩 山頂 奥宮
山頂 奥宮の写真の向うの家は2階部分です。
文政8年(1825年)築造。明治初年説もあり。説明板には「明治初年築造と言われるが、文正5年(1822年)の碑があるので、そのころすでに原形があったとしている」と記載。山開きは8月1日。
この辺りの字が「中里」なので中里富士だそうですが、清瀬市中里に同じ名前の富士塚があるので混同を避け、大泉富士とも言うそうです。

大松富士(北町富士) 氷川神社内 北町8-22-1 
            最寄駅 東京メトロ有楽町線 地下鉄赤塚駅

川越街道から少し入った住宅街の中にあった「大松の氷川様」、大松とは下練馬村の小字とのこと。
参道わきに富士塚がありました(写真右)説明板に「江戸時代中期に丸吉講により築かれ、山頂の石宮は天保6年(1835年)再建とあるのでそれ以前の築造であることにちがいありません」と記載。高さは約3m。別名 北町富士と言うそうです。

 社殿  富士塚

お隣の板橋区には四つの富士塚が残っていました。

[板橋区]

上赤塚富士 赤塚氷川神社内 赤塚4-22-1 
      最寄駅 東武東上線 成増駅北口から高島平操車場行きバス利用

成増四丁目で降りると右手奥に赤塚氷川神社があります。
社殿(写真下右)に入る手前に丸吉講により築かれた富士塚がありました(写真下左)築造は「講碑から慶応4年(1868年)以前と考えられる」と説明板に記載。

 富士塚登り道  長い参道 奥に社殿
奥宮
奥宮には大黒様の置物あり。もう一つはどなたか不明の福の神の置物。
塚の高さは約3m。写真を撮っていたら散歩の女性から「20年も住んでいて富士山の存在を初めて知りました」と声をかけられました。

下赤塚富士 赤塚諏訪神社外の付属地 大門5 
       最寄駅 成増駅北口から高島平操車場行きバス利用

 
上赤塚富士より先のバス停「大門竹の子公園」で降りると、赤塚諏訪神社があります。入口の門には仁王様ではなく右大臣・左大臣らしき人形がお出迎え。「富士塚は丸吉講により築造。時期は不詳だが、明治の初めに奉納された額にこの富士塚が表記されていることから幕末と考えられる」と説明板に記載。

入口の門と奥にある社殿

 
境内に富士塚が見当たりません。
掃除をしていた方に聞くと門と反対側の離れた場所にあるとのこと。途中は民家があり。ここも神社の敷地で、昔は富士塚の場所まで境内だったようだ。
富士塚入り口(写真左)、登り道(左下)奥宮(右下)高さは約5m。

徳丸富士
 北野神社内 徳丸6-34-3  
     最寄駅 都営三田線 高島平駅

循環バスが徳丸5丁目を通っていました。そこからは住所を頼りに歩きましたが、1丁目の範囲が広すぎて迷いました。帰りはバスがないので歩いたら約25分で高島平駅へ到着しました。
長徳元年(995年)京都の北野神社より勧請の由緒ある学問・能筆の守り神だそうですが、富士塚は石段6段で山頂へ、高さは約1m。
説明板によると毎年2月21日の夜間、五穀豊穣・子孫繁栄を祈願して行われる 「田遊び」は無形文化財になっているとのこと。この夜に地の神を招き、農家1年分の行事を所作と唄で表す古い形を残した祭とのこと。
又5月には獅子舞が行われ、悪疫の退散と子供の生長が祈願されるとのこと。昔の良き風習が伝承されている地でした。
        
社殿  富士塚

板橋氷川富士 板橋氷川神社内 氷川町21-8 
       最寄駅 都営三田線 板橋区役所前駅

           
国道17号(中山道)に面した場所にありました。銀杏並木の参道の右側に富士塚があり。古峰神社、稲荷神社、天祖神社、奥宮、三峰神社の小社が立ち並んでいました。
説明板によると「神社の創建は元久3年(1206年)ころで江戸時代は板橋宿の鎮守として広く信仰を集め、今日に至っている」とのこと。
明治22年(1889年)の火災で文書や社宝などを焼失、社殿は翌年に再建されたが、空襲で再び焼失、昭和32年(1957年)に現在の社殿が竣工したとのこと。富士塚の高さは約4m。築造の記載なし。
        
社殿 中央が奥宮、右が天祖神社、左が三峰神社

北区には二つの富士塚が残っていました。

[北区]

十条富士 富士神社 中十条2-14-18 
          最寄駅 JR東十条駅南口


富士山の世界文化遺産登録が決まった後に、最初に行った「富士塚」山開きとして週刊誌が記事にしたのを読み、存在を知りました。
説明板には「十条地域の人々が江戸時代以来、富士信仰に基づく 祭儀を行ってきた場。現在も毎年6月30日・7月1日に大祭が行われ、参拝者は頂上の石祠を参拝するに先立ち線香を焚きます。これは富士講の信仰習俗の特徴の一つとのことです。石造物の銘文によれば遅くとも天保11年(1840年)10月には富士塚として利用されていたと推定されます」と記載。高さ約5m。神社そのものが富士塚でした。

富士神社正面 正面の脇にある富士講碑
奥宮    御神木のスダジイ(奥宮脇にあり)
神社正面脇にある横断幕

田端富士  田端八幡神社内 田端2-7-2 
      最寄駅 JR田端駅

田端駅南口にあった富士塚を山手線工事で大正14年(1925年)移築昭和29年(1954年)修築。高さは約4m。
正面に向かって左の石段を行くと田端八幡神社、右の石段を行くと富士塚の奥宮。「毎年2月20日に富士講の「初拝み」が行われている。田端八幡神社は文冶5年(1189年)源頼朝が奥州征伐を終え、凱旋した際に鶴岡八幡宮を勧請し創建」と説明板に記載してありました。

左:神社    右:富士塚
          社殿                 富士塚 奥宮
神社隣にある東覚寺の赤紙仁王尊(写真下。自分の悪いところと同じ仁王尊の体に赤紙を貼り祈る。寅さん歩4-1谷中七福神めぐり参照)は明治元年の神仏分離令までは神社参道の入口にあったとのこと。
[次回は都心の区に残された富士塚を巡ります]
平野 寅次郎 拝