紀行
その5 田邊(七里ヶ浜)・極楽寺間
八柳修之 |
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開業当時の江ノ電の停車場は、田邊(七里ヶ浜)のあと、行合、追揚、姥ヶ谷、音無橋、稲村ケ崎、砂子坂、極楽寺と続いた。その後、昭和8年頃の江ノ電沿線案内図によると、残っていたのは行合、姥ヶ谷、稲村ケ崎、砂子坂のみであり、そして現在は稲村ケ崎のみである。 |
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追揚停留所 |
![]() 追揚停留所はこの行合停留所と姥ヶ谷停留所の間にあったが、痕跡は特定できなかった。ただ、七里ガ浜高校正門前を通る七高通り坂と線路が交差する七里ヶ浜2号信号がある。 ここには地下通路があり海に出ることが出来る。藤沢方には広いスペースがあり江ノ電の資財置き場となっている。古い写真を見ると、廃車を利用したキャンプカーが点在し夏場は臨時停車所があった場所らしい。 |
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姥ヶ谷停留所 |
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音無橋停留所 |
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音無川に架かる大正15年2月成の音無橋があり、橋の手前左側に海彩(うなじ)という料理屋への私設踏切にその痕跡があった。 音無橋から見る景色はちょっとした景観である。橋を渡って右側に見える洋館は、聖路加看護大のセミナーハウス、新戸稲造の邸宅があった所とか。 |
稲村ケ崎駅 |
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稲村ケ崎停車場は1904年(明治37)開業、1922年(大正11)に現在の位置より東側にあったという。 電車の交換駅である。 |
砂子坂停留所 |
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![]() 道沿いに高橋という米屋さんがあった。若いおかみさんに伺うと、袈裟掛の松の碑の横から、山側に上る急な坂道が砂子坂という。だが、かつて砂子坂という停留所があったことはご存知なかった。前述の金子氏の著の中に「袈裟掛けの松の小坂の下った踏切には番小屋があって、電車の上り下りに合わせて遮断機をおろし旗を振っていた」とあるから、開通当時はこの稲村ケ崎2号踏切辺りの空間に砂子坂停留所があったと推定される。砂子坂停留所・極楽寺駅間の距離が長いのが気になるが、一時、車庫前停留所があったというから納得できようか。 |
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極楽寺駅 |
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極楽寺川に架かる鎌倉十橋の一つ針摩橋(はりすり)の碑がある五差路を左折すると、江ノ電極楽寺電車車庫工場に出る。一時、車庫前停留所があった。 極楽寺駅は1904年(明治37)開業、駅舎は木造で関東の駅百選に選ばれている。金子氏によると、極楽寺の駅が現在の位置に定着するまで一二度の変動があり、かつてこの辺りに沼地があったという。極楽寺駅は関東の駅百選、駅前の赤い丸型ポストと調和してよい。駅を出ると全長209mのトンネル、レンガ造りの坑門で桜橋から見られる。藤沢方は「極楽洞」、鎌倉方「千歳洞」と呼ぶ。 |
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参考資料:金子 晋「江ノ電今昔漫筆」江ノ電沿線新聞社、 江ノ電HP 「鎌倉散歩24」山川出版、 聖路加看護大学HP |