紀行

伊賀上野を歩く

 

平成25年11月28日    池内 淑皓

2003年4月、東京深川を出発した「平成奥の細道ウオーク」は、松尾芭蕉の足跡を訪ねながら各地を訪問し、2013年10月13日奥の細道結びの地「大垣」に到着した、実に10年の歳月を費やす一大イベントであった。
 更に私達も芭蕉の足跡をたどり、伊賀上野にある「芭蕉生誕の地」を訪れ、10月2日「遷御の儀」が行われたばかりの伊勢神宮に詣で、平成25年10月15日奥の細道完歩とした、歩いた距離は2091kmであった。
今回は、まず芭蕉生誕の地伊賀上野を写真で説明しよう。

「伊賀上野散策マップ」


「上野城」 上野盆地のほぼ中央、標高184mの大地に建てられた。
平安時代にはこの丘の上に平清盛が発願して平楽寺と言う大寺院が存在していた、天正13年(1585)豊臣秀吉の武将である筒井定次が砦を改修して城の形を作った。慶長16年(1611)徳川家康は豊臣方をけん制するために、藤堂高虎に命じて城を完成させたが、豊臣が滅んだため未完のまま江戸時代を過ごし、昭和42年国指定史跡となった。(現在の天守閣は昭和10年に復元されたもの)

藤堂高虎が築いた石垣は高さ30m、日本有数の石垣の高さを誇る

上野城にて
「俳聖殿」 平成22年芭蕉生誕300年を記念して建てられた、下層八角平面、上層円形平面の木像重層で屋根は桧皮葺きで芭蕉の旅姿を模して建築に表した。上層は笠、下部が顔、下層の屋根は蓑と衣を表した、堂は足、回廊の柱は杖と足を表している。 国指定文化財 (説明板より引用)。

藤堂藩武家屋敷の長屋、今でも現存し生活している

 「道標」     左 東海道せき道 

「松尾芭蕉生家」 芭蕉が29歳まで住んでいた家、

「蓑虫庵」 芭蕉の門人服部土芳の草庵、芭蕉が庵開きのお祝いとして”蓑虫の音を聞きに来よ草の庵” の句を送った。

「藤堂家の墓」

「寺町通りの風景」   両端にお寺がずらりと並ぶ

   「鍵屋の辻」 日本三大仇討の一つ、 伊賀越え鍵屋の辻の決闘

寛永7年(1630)7月11日岡山藩士河合又五郎(19)が同僚の渡辺源太(17)を殺害して逐電、藩主から仇討の許可証をもらい、又五郎を探す。江戸旗本の安藤家にかくまわれていたことが分かり、岡山藩主の池田候は、又五郎の身柄引き渡しを申し出るが旗本に断られる、ここで事件は旗本と大名の対決に発展して行く。
源太の兄数馬は姉婿の荒木又衛門に助太刀を求め、寛永11年この鍵屋の辻で本懐を遂げる。藤堂藩は彼らの武勇をたたえた。
                              この項完