紀行

伊勢神宮に参拝する

 

平成25年12月6日    池内 淑皓

2013年10月13日松尾芭蕉奥の細道、結びの地である大垣に到着した私たちは、榊原温泉に宿泊して翌日芭蕉生誕の地である伊賀上野を訪ねた。
 10月15日は台風が近づく生憎な雨の中、10月2日に式年遷宮成った天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と、大神の食事などを司る豊受大神を祀る外宮をお参りし、10年に及ぶ「松尾芭蕉奥の細道をたどる旅」を終えることとなった。  この旅の最後に伊勢神宮を写真で案内しょう。

10月13日、14日と宿泊した柏原温泉湯本 
「榊原館」 全景
女将のあいさつ

[内宮] *****************************************
内宮案内図(皇大神宮)
現世から五十鈴川を宇治橋で渡って神域に入る、右側通行励行行列は途絶えることがない
五十鈴川で水垢離をし、手水鉢で手、口を清める
参道を内宮に向かう
写真撮影はここまで

内宮正殿(平成25年10月26日朝日新聞 夕刊の写真から引用)
(特殊な人はここから撮影できるのに、一般人の我々は駄目なのか、寄進した人はOKらしい)

式年遷宮(神様の引っ越し)は飛鳥時代の690年に始まった、武家時代に120年程途絶えたが、戦後の中断を経て今年で62回を数える。
 祭主は天皇であるが、今回は昭和天皇四女の池田厚子さん、補佐役に黒田清子さんが務めた。「遷御の儀」は内宮で10月2日、外宮で10月5日行われた。今年は神様が東側から西側に移ったと云う、なぜ20年なのかについては定かでないが、掘っ立て柱の木材は20年くらいが寿命、技術の伝承の必要性もありそう。
 造営に必要な檜は12,000本、費用は570億円かかった、伊勢神宮が自己資金と一般の寄付金で賄ったと云う。
建て方は全て掘っ立て柱で、別宮、摂社、末社、を含めて152の社があるという、正式名称は「神宮」
日本書紀によれば2千年前天照大神を祀る土地を倭姫の命が探し求め伊賀、近江、美濃をめぐり伊勢にたどり着いたと云う。豊受大神(外宮)は1500年ほど前に丹波の国からここに移された。 (10月26日の朝日新聞から抜粋)

基礎工事を行わず直接掘っ立て柱を立て、塗装、防蟻防腐処理等の加工は一切ない原始的な建て方

[外宮] ************************************************

外宮案内図(豊受大神宮)
外宮概念図
火除けとして引かせた小川を、表参道火除け橋で渡り神域に入る
「豊受大神宮」 豊穣の神様だけあって、早乙女の服装をした女性達が稲穂を奉納している、男子も祭り 衣装を着用して奉納している
「20年前の社殿」  柱も、垂木も、屋根も相当痛みが激しい。20年が限界なのだろうか
         (本来この撮影も許されない、こっそり撮影した)
「おかげ横丁」 1993年地元の「赤福」が自費でこのおかげ横丁を造った、江戸から明治期にかけて伝統的な建物を移築して昔の街並みを再現した、このおかげ横丁で観光客が倍増したと云う。
伊勢名物赤福のお店(本店) 招き看板に宝永四年(1704)と刻まれている

10月15日台風が九州に接近中で、大雨の中内宮と外宮を参拝した、新幹線が強風で止まると帰れなくなるので、JR参宮線の伊勢市駅発15:26の列車で名古屋に向かった。
新幹線では、おかげ横丁で求めたつまみを肴に独り車内で祝杯をあげた。          完