紀行

寅さん歩 その9

東京の富士塚めぐりー10


平野 武宏

前章に引き続き、江戸川区の中央部(並行して流れる荒川・中川と新中川・旧江戸川の間の地域)の南の地域(東京メトロ東西線の南)の富士塚を紹介します。
葛西臨海公園までの地域で先は東京湾です。新中川は旧江戸川(江戸川から分岐)に合流、千葉県との境を流れて東京湾に注ぎます。隣は浦安市です。
葛西地区には多くの富士塚が残っていました。江戸川区では区登録文化財の富士塚10基を「○○の富士」と呼んでいます。

(高さは伝えられている高さ、最寄り駅は代表例です)

[江戸川区]

八幡神社の富士塚 
八幡神社内 西葛西2-1 
             最寄駅 東西線 西葛西駅


地図で場所を確認し、東西線に沿って中川方面に歩くと、川の手前にありました。(写真右)この辺りは昭和24年(1949年)キティー台風の高潮の大被害を受け、昭和32年(1957年)に葛西海岸堤防が完成したとのこと。社殿の右に富士塚がありました。
写真下左は全景。右は山頂、高さ約1.5m。


桑川(くわがわ)の富士  桑川神社内 東葛西1-23-19 
              最寄駅 東西線 葛西駅からバス利用

バス停「桑川町」で降りて環七通りから江戸川方面へ住所表示で探しました。川の位置を確かめ、神社の木がある場所を探すと見つけやすいと学びました。

社殿 富士塚

説明板には「富士塚は昭和4年(1929年)に旧桑川村の山王参拝講の人たちが築造しました。
高さ約2mで全体はボク石(溶岩)と丸石で覆われています、丸石の中には力石も含まれています。
塚の中腹にあるのは昭和41年(1966年)の記念銘のある石祠が祀られて、登山道は丸石の階段になっています」と記載。
但し「きけんですから のぼらないでください」との看板があり。地震などで崩れかけているようでした。
   
長島の富士  香取神社内 東葛西2-34-20  
        最寄駅 東西線 葛西駅からバス利用

バス停は「桑川町」の近くの「長島町交差点」ですが、「桑川の富士」を訪れた後、住所表示を頼りに探しました。到着した場所にある門は施錠してあり、入れないのかと諦めかけましたが、裏に回るとこちらが神社の正門で立派な神社(写真下右左)でした。
旧名を茂呂神社と言い、旧長島村の鎮守。別当の火災で古文書が焼失し、創建の詳細は不詳だそうですが、1500年代頃からの古社と言われています。


富士塚は社殿の右奥にあり、閉まっていた裏門の近くでした。
説明板によると「富士塚は旧長島・桑川両村の山王参拝講の人たちが明治41年(1908年)に造りました。現在の塚は大正6年(1917年)に再築されたものです。塚の高さは約4mで区内では規模が大きい方です。
頂上には「浅間神社」と刻まれた石碑(明治41年銘)があり、上部はボク石(溶岩)、下部は丸い自然石で囲まれています。今でも7月1日の山開きと8月26日のかがり火たきの行事が行われています」と記載。
塚の南側には「御山築設之由来」と刻まれた碑が建てられ由来と二百人以上の講員がいたことが記されています。



又境内の説明板には「この地は蓮根の産地で葛西蓮根と呼ばれ、江戸時代中期から作られ、明治時代中期には優良系統の試作に成功し、その名は関西や東北の市場まで知れ渡ったそうです。江戸川・荒川が運んできた肥えた土と肥料として東京市中から出る下肥(人糞尿)が入手しやすかったので肥料を大量に必要とする蓮根栽培にぴったりで都市部と農村を結ぶリサイクルの地とのこと。やわらかくて歯切れの良い葛西蓮根独特の風味は見通しがきく縁起物として愛されました」と記載。

雷神社(いかづち じんじゃ)の富士塚 真蔵院内 東葛西4-38-11
                      最寄駅 東西線 葛西駅

駅南口から東西線に沿って江戸川方面へ歩くと真蔵院(写真右)に到着。
説明板によると「真蔵院(雷不動)は天文年間(1532〜1554年)創建と伝わる旧東宇喜田村の古刹で真言宗豊山派海松山と号し、本尊は木造不動明王立像。
葛西沖でしけにあった漁師がこの寺の松にいた竜の発する光で助けられ、残された剣を不動に供えたことから波切不動、その不動が大雷雨の時に雷(かみなり)を退治したことから雷不動(いかづち ふどう)と伝えられています」と記載。
隣には後から移転して来た雷香取神社があり、間違えないように。
富士塚は社殿の右にあり、高さ約1.5m。説明板はありませんでした。
 
     

中割の富士  天祖神社内 東葛西7-17
        最寄駅 東西線 葛西駅からバス利用

「小学校通り」でバスを降り、住所を頼りに探しました。同じバスで先のバス停「雷上組」(いかづちかみぐみ)で下車すると前述の真蔵院に行けるとわかりました。
説明板によると「旧東宇喜田村中割の鎮守で慶安2年(1649年)天照大神の分神を勧請したのが始まりで、もとは神明社と呼ばれ、明治5年(1872年)天祖神社と改称。区画整理に伴う道路建設で平成元年(1989年)東葛西9丁目から現在地に移転し社殿(写真下左)も新築されました。富士塚(写真下右)は昭和初年に丸葛葛西講の人々により旧天祖神社境内に築造されたものです。
神社の移転とともにここに移築されました」と記載。
富士塚は高さ約4mで登れました。裏側には大沢崩れらしきものあり。

社殿   富士塚
山頂 富士塚の裏側

江戸川富士  富士公園 南葛西6-23 
        最寄駅 東西線 葛西駅からバス利用

「総合レクリエーション公園前」でバスを降りると、葛西地区の土地区画整理事業によって生み出された24ヘクタールの約3kmに及ぶ細長い公園がありました。その中に「富士公園」があり「江戸川富士」と呼ばれたと聞き、訪れました。
小高い丘(約10m)になっていましたが、富士塚は見当たりません。入口の階段の両側にボク石(溶岩)が使われているのが名残かもしれません。公園管理事務所で聞きましたが、江戸川区での高い場所で、昔は「江戸川富士」と言い、公園の名前もそこから付いたようです。

公園入口の階段 江戸川富士と呼ばれた丘

次回は最終章で新中川と江戸川の間の富士塚を紹介します。
江戸川は千葉県との境で隣は千葉県市川市です。


平野 寅次郎 拝