紀行

寅さん歩 その9

東京の富士塚めぐりー11


平野 武宏

いよいよ富士塚めぐりの最終章となりました。
江戸川・旧江戸川沿いの地域の富士塚を紹介します。江戸川は千葉県との境で隣は市川市です。江戸川区では区登録文化財の富士塚10基を「○○の富士」と呼んでいます。

(高さは伝えられている高さ、最寄り駅は代表例です)

[江戸川区]

小岩の富士塚 
小岩神社内 東小岩6-15 
        最寄駅 JR小岩駅

駅から商店街小岩サンロードを行き、小岩警察署の先を左折、左側に小岩神社(写真下)がありました。説明板には「旧中小岩、下小岩村の鎮守です。江戸時代には神明社、または五社明神社と呼ばれていました。天照大神、八幡、春日、住吉、玉津島の五座が祀られています。もとは千葉県の行徳にあり、文政5年(1536年)に下小岩村に社を移し、寛文11年(1671年)に本殿と拝殿を建造しました。
当社にはかっては五つの摂社があり、天保11年(1840年)に摂社の一つである現在地に本社を移し、明治時代になり小岩神社と改称しました」と記載。   

     

富士塚は社殿左にあり、高さ約1.5mとのこと。鳥居脇のお供え物を持つ猿の像(写真下左)が気に入りました。






写真上は登山道、右は頂上

供え物を持つ猿の像

浅間神社の富士講碑  浅間神社 上篠崎1-23 
            最寄駅JR小岩駅からバス利用

江戸川の土手の下にあるバス停「浅間神社」で降りると目の前に浅間神社がありました。説明板によると「広い境内には14の社があり、それぞれに祭神が祀られています。創建が天慶元年(938年)の浅間神社は木花開耶媛尊(このはなさくやひめのみこと)で安産火防子育ての神。7月1日は大祭、1年おきに日本最大の幟が10本立ち並び、全国に紹介される」と記載。
裏参道には木遣りの記念碑もありました。

江戸川土手 神社入口
浅間神社社殿下  社殿

社殿の階段下、右にある下浅間御嶽宮(磐永媛命 寿命の神)の前には区登録有形文化財の富士講碑があり。説明板には「高さ103センチ、幅76センチ、天保十一子年五月吉日に「江戸北新堀 狗願主中」により建立されました。この講碑は一般のそれとは異なり、講印や何々同行という字がなく、中央に「元祖 食行身禄(じきぎょうみろく)」の名が大きく書かれ、下部には三猿が描かれていることで講碑としては珍しい形式で貴重なものです」と記載。(三猿は名の下に薄い線で描かれています)



浅間御嶽宮と富士講碑

上鎌田の富士(篠崎富士) 天祖神社内 南篠崎町2-120 
               最寄駅 都営新宿線 瑞江駅

駅南口から住所で探しました。別名 篠崎富士。
説明板によると「明治19年(1886年)に旧上鎌田村の丸星講の人々が築造。高さは約1.5mで円墳に近い形をしています。頂上には浅間神社の石祠が祀られています」と記載。

下鎌田の富士 豊田神社内 東瑞江2-5-3 
        最寄駅 都営新宿線 瑞江駅

上鎌田富士から住所表示を頼りに探しました。帰りは神社前から駅までのバスがありました。説明板には「豊田神社は旧下鎌田村の鎮守。創建は不詳。もとは神明社と言い、五穀豊穣の神としてあがめられた。明治初期に廃寺の跡地に社殿を建立し、豊田神社に改称」と記載。


富士塚は社殿の左にありました。
説明板によると「大正5年(1916年)旧下鎌田村の下鎌田割菱八行講の人々によって築造。高さは約3m、正面には「く」の字の形の登山道が造られて、中腹には石祠が祀られています。塚の背面には大沢崩れを模したような所があります。
現在でも富士講の活動が盛んに行われ7月1日は山開き、8月28日の火祭り、毎月の月並み祭を行っています」と記載。


今井の富士 香取神社内 江戸川3-44-8 
       最寄駅 都営新宿線 一之江駅からバス利用

駅から葛西駅行きのバスで「今井」で降り、旧江戸川にかかる今井橋の手前を左折、左側にありました。今井行のバス停からは離れています。この辺りで新中川は旧江戸川と合流。
説明板によると「旧今井村の総鎮守で、永禄7年(1564年)の創建と言われています。今井の富士は旧上今井村の上今井割菱八行講により昭和5年(1930年)に築造。高さは約2.5m」と記載。最後の富士塚は登拝することが出来ました。






山頂の石祠の前には富士山のお供え


 食行身禄の碑と亀石

[編集後記]
  
            
散歩の途中で出会った富士塚への好奇心から始めた「富士塚めぐり」でしたが、どんどん興味が湧いてきて、次はどんな富士塚に会えるかと楽しみに歩きました。
終わってみると都内23区に残された73ヶ所(跡地2ヶ所含む)の富士塚を訪ねました。紹介しなかった港区・中野区・墨田区には富士塚は残っていませんでした。
埼玉県と隣接の練馬区・足立区や千葉県と隣接の江戸川区、埼玉県と千葉県に隣接の葛飾区は広い区内に富士塚が点在し、都県境まで行きました。

各地の区役所を訪れ、地図をいただき住所を頼りに地図上で確認、最寄駅を確かめ、町角の案内地図や電柱の住所表示を見ながら神社を探しました。
ウォーキング協会スタッフでのコースづくり・下見の体験が大変役に立ちましたが、学んだこともたくさんあります。
立ち止まり、確認しながらの行動は「早いのが取り柄・せっかち」な性分の寅次郎には勉強になりました。
道を間違えても、バスが行ってしまっても、これは天が与えてくれたやり直しや余裕の時間だと前向きに考えました。
とにかく時間は沢山ありますので・・・

富士塚を眺め、頂上に登ると当時の人々の富士信仰の気持ちの強さが足元から伝わってきて、厳粛な気持ちとなりました。
東京都や区も文化財として保存し、説明板で語り伝えられていることは大変良いことだと思いました。山開きの時に来て、登拝してみたい富士塚もありました。
 
最後までご愛読いただき、ありがとうございました。

(各章の富士塚の索引表を作成しましたのでご活用ください)
 
 

平野 寅次郎 拝