紀行

(その二)


八柳修之

 寅散歩の最終版、東京の富士塚の分布図を見ると、藤塚は下町に多く分布していることがよく分かります。浅間神社がある所には富士塚が築かれ、氏子らによる富士講が出来ていったようです。

遠藤の浅間神社

 藤沢にも富士浅間神社が遠藤の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの中にあります。小田急湘南台駅西口から慶応大学行バスに乗車し、終点、慶応中高学校前で下車し左に曲がるとひっそりと浅間神社が祀られています。
祭神は木花咲耶姫命、宝暦四年(1754)の富士山大噴火の時の砂が沢山積もり、それをかき集めた上に建てられたと伝えられるという、やっと判読できる由来書が立っています。周囲には富士山の瓦礫らしい石も見られます。
神社は木立の中にあり、富士山は観られませんが、神社前を下って慶大を取り巻く外周道路を上って行くと富士山が観られます。道なりに進むと、道路脇に縄文時代早期末の炉穴群が保存されています。下って行くと。西の谷というバス停があり、遠藤地区の景観―1のメタセコイアの並木が慶応大学正門まで続いています。

浅間神社

慶応大学外周道路から観られる富士

長後の仙元塚

 小田急長後駅西口広場から右に行くとすぐ交差点がある。その角が少し小高くなっていて、仙元塚(富士塚とも)があります。
この塚は、宝永五年(1708)、富士山の噴火で降った火山灰を集めてつくった塚で、高さは当初、9mもあったと言われるという説。
天保の大飢饉(1833〜36)の際、村人は野の草を食べなければならぬほどの飢饉に遭い、村人の動揺を鎮め結束をはかるための信仰として「富士講」をつくり、三十三回の富士参りを始め、慶応二年(1866)大願成就の折、この塚を建てたと言う二説があります。
 

              
富士見台小学校


 富士見台は、富士が見られたからそう名付けられたものと思われます。藤沢市、富士見台をキーに唯一つヒットしたのが富士見台小学校です。
長後の仙元塚のある交差点から西へ、長後市民センターの前を通る道、大山道を進んで行くと富士見台団地、富士見台小学校と富士の名が見られます。
現在は下土棚という地名になっていますが、小字を新屋敷といい、寺講中、小菅講中、中講中という集落があり講がありましたが、富士講ではないようです。
富士見台小学校は、1967年に開校した学校ですが、校庭から富士山が観られました。(完)

参考資料:「藤沢市文化財ハイキングコース」(藤沢市教育委員会)
     「藤沢の地名」 日本地名研究所編  発行 藤沢市